UX は iPhone によって発見された説

UIデザインに20年近く携わってきた私としては、昨今、「UX と UI は違う」と多くの人が言うのを聞くたび、違和感を覚える。なぜなら、彼らが UX と呼んでいるものはまさに、我々がずっと「ユーザーインターフェースデザイン」と呼んできたものだからだ。それは決して画面の表層的なグラフィックを指すものではなかった。システムが提示する概念モデルや、サービスが提案する体験価値を、合理的なインタラクションの蓄積として現すこと。ユーザーが知覚するシステムの全体像を定める試み。それがUIデザインだったし、そういうスコープで HCI や UCD はテーマづけされてきたと思う。

そもそもユーザーインターフェースという概念はかなり抽象度が高いと思っている。まず、ユーザー(利用者)という言葉は、人間というものに対する人工物の存在を前提としていて、人が道具を作り道具が人を作るという、社会や文化の根本的な発展スパイラルを暗示している。人工物の機構がソフィスティケートされると、そのロジックは我々の運動や認知のプロトコルから乖離する。そこで、人と道具を仲介するための新しい抽象レイヤーとして、人と人工システムとの関係性をひとつの意味空間にまとめるものとして、ユーザーインターフェースの概念が生まれた。だからUIデザインというのは結局、サービスのモデリングであるし、体験のデザインなのだ。

90年代までに、特にソフトウェアのUIデザインというジャンルを強く意識していたのは、ほぼ確実に Mac ユーザーだったと思う。なぜなら、GUI が持つ道具としての魅力は Mac によって知らしめられたのだし、その設計思想や方法論を早くからまとめあげていたのが Apple だったからだ。”The Art of Human-Computer Interface Design”(『ヒューマンインターフェースの発想と展開―人間のためのコンピューター』)は1990年の出版だが、当初 Apple 社の Human Interface Group が教育用に企画したものであったこの本には、Alan Kay、Donald Norman、Ben Shneiderman、Bruce Tognazzini、Ted Nelson、Nicholas Negroponte、Timothy Leary といった面々のハードコアなユーザーインターフェース論が掲載されており、80年代後半から90年代前半までの熱狂的な(しかし世間一般ではまだジャンル化されていなかった)「UI熱」を感じ取ることができる。

しかし UX という言葉が台頭するに伴い、UI はソフトウェアの画面のことというふうに矮小化されてしてしまった感がある。

なぜ、UI は UX と言い換えられるようになったのか。

User Experience という言葉は、90年代後半には(小さなUIデザイン業界で)けっこう普通に使われていた。例えば私は1998年ぐらいに infoperience.com というドメインを取ったが、これは、User Experience の変化形として Information Experience という言葉を考えたからだった。その頃の UX は単に、よい製品が提供するよい利用者体験といったニュアンスで使われていたように思う。製品自体よりもそれを使うことで得られる体験に価値があるのだという、当たり前といえば当たり前のコンセプトをあえて言ったものだったと思う。

やがて2000年代になり、ネット系の新しいサービス体験と経済が活発化した。そこで起きたのは、ストイックな工学だったユーザビリティのノウハウが、広告的もしくは購買促進の目的でウェブサイトのデザインに適用されはじめたことだった。「大事な情報はファーストビューに置け」とか「リンクのラベルは具体的にしろ」といったガイドラインは、ユーザーの生産性向上というよりも、ユーザーが迷わず購入ボタンを押せるようにするための経験則だった。このようにユーザビリティは広告ノウハウに取り込まれた。

次に2000年代中盤になって Web 2.0 的サービスや SNS が流行すると、今度はマーケティング視点でいろいろなノウハウが出てきた。SNS の面白さは多くの人にとってまた新しい体験だったため、ユーザビリティよりももっとエモーショナルな方向性をもつ UX という言葉がマーケティング用語として使われるようになった。

ただしその頃はまだ、デザイン業界やネットマーケティング業界で使われていただけだった。

2000年代後半になると、UX という言葉は大手メーカーやユーザー企業など(我々にとって)クライアント層にも使われるようになった。そのきっかけは、iPhone のヒットにあったのではないかと私は思っている。

新たに UX という言葉を使い始めた人々の話を聞いていると、どうもその根底で指しているのは、「iPhone のあの感じ」であることに私は気づいた。それが iPhone の商業的な成功をもたらしたのだとすれば、そういうものを自分たちも作りたいという発想だ。

「iPhone のあの感じ」というのは、一種のアートだ。それは我々からすれば、Mac をはじめて触った時に受けた感動と同質なものであるし、その要素は、直接操作感とか対応付けとか一貫性とかモードレスネスとかフィッツの法則とかあるいはそれらを前提とした上であえてシンプルさのために機能性や論理性を割り切ってかわりに楽しげなアニメーションや冗談めいたメタファをまぶしつつ全体をきれいにまとめあげる Apple 流のやり方であると説明できるが、ほとんどの人にとって、その体験は言語化できなかったのに違いない。

「あの感じ」をひとことで言うなら、私は「ソフトウェアのイリュージョン」と言うのがよいと思う(ソフトウェアのイリュージョンについては、「エントロピーとデザイン」に書いた)。

もちろん iPhone が商業的に成功した要因はソフトウェアデザインだけではないだろうが、iPhone はそれまでソフトウェアのイリュージョンを感じたことのない人々に、はじめてそれを感じさせたのは事実だろう。ソフトはハードのおまけとしか思ってなかった人々に、世の中はもうとっくにゲームチェンジしているのだということを気付かせた。ソフトウェアのデザインをプログラミングやビジネスロジックといった視点からしか捉えていなかった人々に、新しいデザインジャンルの存在を気付かせた。

そのデザインジャンルは我々が「UIデザイン」と呼んでいたものだが、世の中の消費者向けソフトウェアサービスはもはや広告やマーケティングと融合していたので、デザインで成功を狙うメーカーやユーザー企業の人々はそれを「UX」という名前で理解しようとした。経済の上流にある彼らが UX と言い出すと、一気にコモディティ化するのは当然だ。

その意味で、UX は iPhone によって発見されたのだと私は思っている。

ではその UX とやらはどうすれば作れるのか。多くの人がその方法を知りたがった。

そこで、デザイン品質を担保する方法論の存在、つまりユーザビリティ工学的な経験則や評価手法、あるいは UCD で語られてきた一連の取り組みセットが、UX デザインのノウハウとして認識されるようになった。同時に、ネットマーケティング的なソーシャルマネージメントとかもその一環として認識されるようになり、やがてモバイルアプリがたくさん生まれると、今度はそこで発見された即物的な利用価値演出だとかクロスチャネルサービスモデリングの必要性だとか HTML 5 でネイティブっぽい動きを作る方法だとかエンゲージメントを高める表現だとか五つ星をつけさせるノウハウだとかもうありとあらゆるものが UX の名の下に大集合してきたと。

で、今に至るというわけです。

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