鏡はなぜ左右は反転するのに上下は反転しないか

April 30, 2015
Manabu Ueno

鏡はなぜ左右は反転するのに上下は反転しないのか? 私はこの素朴な疑問を「鏡問題」と呼んでよく考えている。
洗面台の鏡の前に立ち、右手を上げると、鏡の中の自分は左手を上げている。左右が反転している。
次に頭を振ってみると、鏡の中の自分は足を振るわけではなく、頭を振っている。上下は反転しない。

鏡問題については誰もが一度は考えたことがあると思う。誰もが何らかの回答を試みるが、この問題の面白いところは、人によって回答がいろいろであるところだ。

よくある回答のひとつは、「左右は主観的だが、上下は客観的だから」というもの。
左右の方向は見る立場によって変わるが、天地の方向は一定している。
しかし、では鏡の前で寝転がってみる。右手は天の方向にあり、左手は地の方向にある。そこで右手を上げると、鏡の中の自分はやはり逆の左手を上げているではないか。

よくある回答のもうひとつは、「左右は反転していない、前後が反転しているのだ」というもの。
いやいや、前後が反転しているのなら、私が鼻をかいたら、鏡の中の自分は頭の後ろをかいていないといけない。けれどそうはならない。

これと似たような回答に「左右は反転していない、表裏が反転しているのだ」というのもあるが、それだと鏡の中の自分は体の中身が皮膚の外に出てしまって見るに耐えない感じになるはずだ。だがもちろんそうはならない。

まれに、「左右だけでなく、実は上下も反転している」というのもある。
でもそれはおかしい。それだと鏡の中の自分は常に逆立ちをしていないといけないから。
そう言うと、上下反転論者は、「鏡を足の下におけば、左右も上下も反転する」という。
確かにそうかもしれないが、ではなぜ鏡の置き場所によって反転の具合が変わるのか?
上下反転論者はこの疑問には答えられない。

いろいろググって、鏡問題を比較的よく説明していると感じたのはこのページだ。
ここではこういう感じの回答をしている。すなわち、左右は反転していない。なぜなら自分から見て右方向の手を動かすと、鏡の中でも自分から見て右方向の手を動かしている。反転しているのは、鏡に垂直の方向である。自分が鏡の方を向いている時、鏡の中の自分は逆にこちらを向いている。左右が反転している気がするのは、「右手」「左手」のように、鏡の裏に回った自分の視点で手がかりを見ているからであると。

はい、そのようですね。けれど、このページの中にある、鏡の裏に回った自分を想像する時の回り込み方によって反転しているように見える方向が変わるというのは、ちょっとよく分からない。言っていることは分かるのだけれど、それが鏡問題とどう関係しているのかが分かりにくい。なぜなら私は鏡を見る時、べつに自分が鏡の裏に横からぐいっと回り込む様子など思い浮かべていないから。

鏡問題は、誰もが疑問に思うことであると同時に、誰もが感覚的には答えを知っているのである。
ただ、その答えをうまく言語化できないだけだ。

鏡問題は言葉遊びなのだ。だから鏡問題についてある程度考えた人はみな、「そもそも問題設定が間違っている」と言い出す。問題の認識がおかしいのだから、回答することよりも、認識を正すことの方が重要だと。
そのために、左右も上下も反転していないということを説明しようといろいろな例を出すのだけれど、それらがどうも生活感を伴っていない。
鏡問題の素朴さに対して、回答はどれも間接的でもやもやしている。こじつけ感がでてしまう。
左右は反転しているような気がするだけで実は反転していない? それは一体どういうことだろうか。

でもまあ、左右も上下も反転はしていなくて、鏡の外と中で、鏡を境に方向性が逆転しているだけなのだということで、しぶしぶ納得しかけるわけである。

ところで急に話が変わるようだが、iPhone の前面には FaceTime カメラというのがある。自撮り用にこちらを向いているカメラだ。
この FaceTime カメラを起動して自分を撮影しようとすると、あることに気づく。ディスプレイに表示されている自分は、鏡像になっているのである。
シャッターボタンを押して、撮影された写真を見ると、鏡像ではなく普通に自分を撮った写真になる。
これはおそらく、我々は普段自分の顔を鏡を通じて見ているのだから、ディスプレイに表示するプレビューは鏡像にした方が自然だと考えた仕様なのだろう。
だから FaceTime カメラは、シャッターを切らなければ、鏡としても使うことができる。

そこでふと考えた。FaceTime カメラがディスプレイに表示する鏡像は、どうやって作っているのだろうと。
それはおそらく、レンズが捉えている通常の映像を、デジタル処理で左右反転させているはずだ。
その時、上下は反転させていないはずだ。
つまり、映像を左右だけ反転させれば、それは鏡像になる。そして FaceTime カメラのディスプレイを見る限り、それは完璧に鏡をシミュレートできている。
だとするならば、鏡は、やっぱり、左右だけが反転していると言えるのではないか?

鏡問題というのは、「左右が反転しているような気がする」というトラップであるように見せかけて、本当のトラップは、「問題設定が間違っているような気がする」というところにあるのではないか。問題設定は間違っていないのではないか?

仮に鏡では本当に左右が反転していないとしても、左右を反転させた映像と鏡の区別が我々につかないなら、鏡は左右反転していると言ってしまって問題ないのではないだろうか?

このように鏡問題は、我々の認知、言語、思考、などの間にある亀裂を発見する実験といえるだろう。

そして未だ、回答の決定版は出ていない。

Comments are closed.