Monthly Archives: June 2015

UXの語感

UXという言葉は2005年ぐらいにはすでにバズワードだったが、その後もますますバズっぷりを増している。 UXという言葉は人によっていろいろな意味で使われるとよく言われる。実際、私も仕事でいろいろな人がいろいろな意味で(そして真面目に)UXという言葉を使っているのに遭遇する。 デザインコンサルタントとしては、UXを何かひとつ定義づけることよりも、世間でこの言葉がどのような使われ方をしているのかを知ることの方が重要だ。 ちなみに、私の定義はとても簡単だ。誰かが私に「UXとは何ですか?」とたずねれば、私はこう答える。 「利用者体験のことです」 それ以上でも以下でもない。英単語の直訳で十分意味のある言葉だと思う。 例えば「デザインって何ですか」とか「UIって何ですか」といった質問に答えることの方がずっとコンセプチュアルで難しい。UXは簡単だ。 ただ世間でいろいろなニュアンスが盛られて使われているようだ。 UXという言葉が使われる時の観点をざっくり分類すると、 UIの操作性の観点 デザインプロセスの観点 マーケティングの観点 組織スローガンの観点 といった感じになるように思う。もちろんそれぞれはクロスオーバーしている。 この分類に従って、以下に、私がよく見聞きする、UXという言葉の使われ方を挙げてみる。 UIの操作性の観点 UXとは、UIのこと それまで良いUIというものを意識的に作ろうとしたことがなかった現場においては、ちゃんとUIを作るという発想自体がかなり新しいパラダイムとなる。彼らはそれをUXと呼ぶ。このニュアンスで RFP に「UXのリニューアル」とか「UXの全面見直し」と書かれていたことがある。 UXとは、ユーザビリティを考慮した画面設計のこと このニュアンスは SIer や情シスなどの人々の言葉でよく耳にする。「今度の案件ではユーザーがUXを要求しています」といった感じで使われる(ここでいうユーザーはユーザー企業/部門=クライアントのこと)。聞いていくと、使い勝手を考慮した画面のことらしい。このニュアンスで、RFP に「UX納品:○月○日」とか「UXを適用する」とか書かれていたことがある。 UXとは、直接操作感とマイクロアニメーションのこと スクロールのスムーズさとかタッチ入力の精度をもってUXが優れているなどという。ビューが遷移する時のトランジション効果とか、タッチ操作に対するUI要素のビジュアルフィードバックなど、従来なら実装コストの関係でオミットされていたような小粋なアニメーションを積極的に取り入れることも重要。製品やサービスのアハ体験。ただサイドイフェクトとして、学習可能性や発見可能性を無視した珍妙なUIを見て「このUXは新しい」などと持ち上げる素人評論家が多数発生しているのも事実。 デザインプロセスの観点 UXとは、観察インタビュー、プロトタイピング、ユーザビリティテストなどをやること 要するに UCD とか HCD と呼ばれるプロセスだが、以前から提唱されてきたそういった方法論や呼び方を知らない人々がその手の取り組みセットをUXと呼んでいる。サービス事業者のインハウスデザイナーなどが「うちでもUXを取り入れないと」などと言ってる場合はこれに近い。UXという何か決まったメソッドが存在しているという前提でこの言葉を使う。膨大なポストイットにいろいろ書いて壁一面が埋め尽くされることで俺たち仕事した感が漂ってしまったりするのもこれ。このニュアンスで、RFP に「UXを行うこと」と書かれていたことがある。 UXとは、アジャイルにデザインすること ウォーターフォールに対するカウンターとして、ユーザビリティ担保のコスト最適化として、あるいは資金調達の攻略テクニックとして、プログラミングの世界で実践されてきたスパイラル式のイテラティブプロセスをデザインプロジェクト全体に適用しようという、たいへんまっとうな取り組みが盛んになりつつある。ただしデザイン全般となるとプログラムのようにはモジュール化できないので、実際にはモバイルアプリのような小規模なシステムでしか実践は難しいと思われる。そもそも今デザインスプリントとか言ってる層が大規模エンタープライズシステムなどの開発プロセスに口を出せることはほとんどない。自然にスクラムとかを回してるようなスタートアップにおけるUX。 マーケティングの観点 UXとは、サービス企画のこと ユーザーモデルとか課金モデルとかプロモーション方針とかを最上流で定義すること。いってみればサービス企画。「UIは画面のことで、UXはもっとサービス全体のこと」といったことを言う人は、だいたいこれ。代理店の下請けとかが多い制作会社の人などが「うちらももっとUXやりたいよね」などと言う。 … Continue reading

マテリアルは逆説じゃなかった

“エントロピーとデザイン” で私は、「ソフトウェアによって将来、この物理世界とは全く違う価値観からの精神活動が営まれるであろうことは想像に難くない。」と書いた。だから無限のデジタル世界と我々がインタラクトするには、新しい言語が必要になる。少なくともまだしばらくそれは、共時的な情報を表すのに適した、視覚言語であるはずだ。 デジタル世界のイディオムが発展して、物理に束縛されない秩序によって精神活動が営まれるようになるということは、言語に高い抽象化の性能が求められるということだろう。 幾何学的で平面的なグラフィックは、コミュニケーションの抽象化に則したチャレンジだ。そこではもはや、GUI の表現力はスクリーンサイズに比例しない。 Google のマテリアルデザインは、きっとその名前からは逆説的に、視覚表現の抽象化の指針として作られたのだと期待していた。けれどこのビデオを見ると、どうも違ったようだ。 Making Material Design 彼らは GUI を、薄っぺらい紙をいくつか重ねたものだと考えているらしい。重ね順に気をつけろとか、影の落ち方に気をつけろとか言っている。逆説でもなんでもない、彼らは本気で物質(マテリアル)感を醸し出そうとしているではないか。ならばこれはスキューモフィックのひとつにすぎない。時代に逆行してないか? たぶんあれだろう。スクリーンを埋めるビューとそのヒエラルキーとかトランジションとか、ちゃんと整理して構成しろよっていう、そういう実装モデルにひきずられてしまったんだろう。 GUI が努めるべきはむしろ、物質感の排除だ。デスクトップメタファから脱するには、グラフィックの記号性をもっと高めて、デジタルネイティブなイディオムを発明していく必要がある。もう奥行き感とかドロップシャドウとかやめないといけない。巻き物メタファのスクロールもやめていい。 その意味では、Apple Watch のグラフィックはちょっといい線を行っている気がする。二次元的とも三次元的ともつかない、黒い背景に記号だけが漂っているような調子がいい。抽象的な図形とマイクロアニメーションで構成されたインタラクション。小さなスクリーンを前提として、はじめから箱庭を捨てている。    Apple Watch に見られる GUI イディオムはまだ模索されはじめたばかりなので中途半端な部分も多いが、いろいろと表現を試してみる価値のある方向性だと思う。