エレベーターのボタンについて

このツイートが意外にもたくさんRTされていたので、解説してみる。

UI設計理論としてはまず、「目的達成までのユーザーの運動と認知の負荷を減らす」という考え方をするのが基本だ。同じ結果を得るためなら、操作や選択肢は少ない方がよい。UIはユーザーにとってオッカムの剃刀であることが望ましい。

ただしシステムを利用して目的を達成するプロセスには「テスラーの複雑性保存の法則」というものがあり、入力しなければいけない情報を一定以上減らすことはできない。

一般的なエレベーターを利用する上で必要となる最低限のインプットは、次の6つだろう。

  1. エレベーターを呼ぶ合図
  2. 乗るためにドアを開ける合図
  3. 乗った後にドアを閉める合図
  4. 行き先階
  5. 出発の合図
  6. 到着した際にドアを開ける合図

テスラーは、複雑性は減らせないが移動はできると言っている。必要なインプットの負担をユーザー側からシステム側に移動することで、ユーザーにとっての労力を減らすことができる。

一般的なエレベーターにおいては、上記の6つのうち、2, 3, 5, 6 については適当なタイミングで自動的に行われるようになっているので、ユーザーが行うのは 1 と 4 だけである。1 はエレベーター外の上下ボタン、3 はエレベーター内の階数ボタンを使ってユーザーがインプットする。

これらはユーザーが特定の階に移動するために必要な操作だが、実際にはこれらに加えて、自動化された動作をキャンセルする機能があるのが普通だ。すなわち次の2つ。

  1. ドアが閉じようとするのをキャンセルする合図
  2. 一定時間を待たずにすぐにドアを閉じる合図

7 は開くボタン、8 は閉じるボタンで行われる。開くボタンについてはスプリング式になっていて、押し続けている間その合図が継続する。また開くボタンは、エレベーターが移動している最中には安全のためにディスエーブルになっている。ふたつ以上の合図が同時に発せられた場合は、安全な方に寄せて他は無視される。

開くボタンは、自動的に閉まろうとするドアに(自分を含めた)誰かが挟まれないよう、エレベーター内の人が押すためのもので、安全のためのスイッチだ。一方、閉じるボタンは、急いでいる人が早くエレベーターを出発させたい場合にのみ使うものであるため、重要度は低い。閉じるボタンが無いエレベーターも存在する。

またドアには通常、安全装置があり、物が挟まるとドアが開くようになっている。これに加えて、赤外線センサーによってドアに物が接触するのを防ぐ機能を備えているものも増えている。

エレベーターのボタンの押し間違いで一番問題になるのは、「ドアを開こうとして間違って閉じてしまう」時である。なぜなら、安全のためにとった行為が、かえって危険な状況を作ってしまうからだ。このリスクを考えると、閉じるボタンの存在はかなり問題だろう。閉じるボタンが無いエレベーターではこの問題は発生しない。ボタンがふたつ並んでいれば必ず押し間違いが起こるが、ひとつなら起こらないからだ。

閉じるボタンの無いエレベーターでは、階数ボタンを押すとすぐにドアが閉まるようになっていたり、階数ボタンの長押しでドアが閉まるようになっていたりするのを
見たことがある。これらは、行き先を指定する行為=出発の意思という解釈をしているのであり、複雑性の移動方針としては理にかなっていると思った。またこれらはいずれもセンサーつきであったため、閉まろうとするドアに挟まってしまうこともなかった。

つまりドア自体に備わっている安全装置がうまく機能するなら、7 と 8 は自動化されるので、開くボタンも閉じるボタンも理論上は不要になる。

銀座 Apple Store のエレベーターには行き先階ボタンも開閉ボタンもなく、自動的に全階に止まりながらシャトル運行し続ける。当然センサーによる安全装置が働いている。

さて、今回のエレベーターだが、駅によくあるタイプのもので、写真で分かるとおり、ふたつの階を行き来するだけのものだ。つまりユーザーの行き先は常にひとつしかない。現在ユーザーがとれる操作がひとつしかないなら、その操作は自動化できる。現在有効な選択肢がひとつしかないなら、オッカムの剃刀として、その選択行為は省略できる。

だから8つのインプットのうち、4 もシステム側に移動でき、写真にあるボタンは全て無くすことができる。

ここで、ボタンがなくなったエレベーターの動きを想像してみる。

インプットとして自動化できていないのは 1 で、エレベーターを呼ぶための(エレベーターの外にある)ボタンは必要だ。これを押すと、エレベーターが来て、ドアが開く。

ドアが開いてエレベーターに乗ると、一定時間を経てドアが閉まって、出発する。この時、人が挟まりそうであれば安全装置が作動してドアが開き、一定時間後にまた閉じる。

行き先階についてドアが開き、乗っている人が降り、一定時間後にドアが閉じると、エレベーターはまた出発する。しかし人が誰も乗っておらず、また誰もエレベーターを呼んでいない時に、エレベーターが動き続けるのは不経済だ。これは、人がエレベーターに乗っているかどうかを判定するセンサーがあれば解決するだろう。

ただし問題になりそうなこともある。エレベーターに乗った人が、向こうから来る人を待っているような場合や、乗っている人が多くて全員が降りるのに時間がかかるような場合には、ドアを手で押さえ続けなければならないので苦労する。また、急いでいる場合(駅では普通、人は急いでいる)、出発を促す方法がないので、イライラするだろう。駅の混雑を増長してしまうかもしれない。

これらの問題を解決する方法は、次のふたつだ。

  • ドアが自動的に閉まるのをキャンセルしつづける方法を提供する
  • 出発の合図を出す方法を提供する

前者の問題はそもそも、ドアを閉じる合図を自動化したことの副作用なので、その自動化が妥当であるのかどうかを再考してみる。もしドアが自動的には閉まらないのであれば、閉まる動きをキャンセルしつづける行為も不要となる。

後者の問題は、行き先階ボタンも閉じるボタンもないことだ。ボタンがなければ合図を出せない。

そう考えると、問題文にある「ひとつだけ残すとしたらどれか?」に対する回答は、「閉じるボタン」ということになる。

ここで、このエレベーターの動きをまた想像してみる。

乗り場に行き、エレベーターを呼ぶボタンを押す。エレベーターが来るとドアが開く。

エレベーターに乗ると、ひとつだけボタンがある。これを押すとドアが閉じて出発する。ただしこのラベルが「閉じる」だとその使途が分からないので、「出発」といったラベルに変更する方がよいだろう。ボタンを押さなければドアは開いたままとなり、自動では閉まらない。

ドアが閉まりかけている時に人が近づけば、センサーによってドアが開き、一定時間後に自動的に閉じて出発する。その一定時間を待つのが嫌であれば、出発ボタンを再度押すことですぐにドアが閉じて出発する。

行き先階につくとドアが開いて人が降りる。ドアは自動的には閉まらず、次に乗った人が出発ボタンを押すか、別階から呼ばれるまで、開いたままとなる。ドアが開いたままなら、そこへ次に乗ろうとする人は、乗り込むまでに何も操作が必要ない。これにより(エレベーターが来ている場合のみだが)さらに複雑性をシステム側に移動することができる。

もし長時間ドアが開いていることでセキュリティその他のクリティカルな問題が起こるのであれば、一定時間後に自動的に閉じるのでもよい。その場合は、中に人が乗っているかどうかを判定するセンサーが必要だろう。ただし、もしセンサーの誤判定でドアが閉まってしまっても、出発ボタンを押せば行き先階でドアが開くので、閉じ込められてしまうことはないはずだ。

なお、上記のようなロジックではなく、「急いている人のための機能は必要ない。Apple Store のように全自動のシャトル式で動いていればよい。」という前提であれば、ひとつ残すボタンは「開くボタン」ということになる。

また問題文が「ひとつだけ残すなら」ではなく「ふたつ残すなら」であれば、答えは開くボタンと閉じるボタンのふたつということになる。その場合、閉じかけたドアを中から開く操作をより明示的に行えるようになる利点はあるが、開閉の押し間違い問題が再発する。


ここまでが問題に対する回答およびそれを導出する思考方法の提案だが、現実世界でデザイン仕様を検討する場面を想像すると、もっと考えることがありそうだ。

まず、非常ボタンについて。

今回の写真では、あえて非常時用の通話ボタンを写さなかった。これは、ボタンの性質や重要度が他と異なるので、思考ゲームの対象とするには無理があると思ったからだ。だから今回の問題においては、非常時通話機能の存在およびそのUIについては肯定も否定もしておらず、問題文としてもそれを匂わせたつもりだ。

もうひとつ、Apple Store のエレベーターには階数ボタンも開閉ボタンもないと書いたが、実際には、非常時通話ボタンと、車椅子ボタンがある。車椅子ボタンはおそらく、ドアの開いている時間を延長するためのもので、開閉ボタンがないことを考えるとこれはかなり重要な存在といえるだろう。ただし上記の「出発(閉じる)ボタンを押すまでドアは閉じない」仕様であれば、不要かもしれない(一度閉まりかけた状態から再度開き続けられるようにするなら要)。

次に、保守バイアスについて。

メーカーなどの組織でデザイン仕様を決める過程では、様々な保守的な方向へのバイアスがかかる。例えば、既存部品の再利用、ソフトウェアロジックの再利用、普及しているデザインパターンの再利用、クレーム対応リスクの回避、などの圧力だ。特にエレベーターのような、公共性と安全性が求められるシステムにおいては、そのバイアスは非常に強くなるだろう。このようなバイアスに甘んじる風土はデザイン組織としては致命的だが、品質管理として全てを否定できるものではない。

いくら合理的なデザインであっても、見慣れないものであるという理由で市場から否定的に評価されるものは多い。うまくいけば革新的なプロダクトとなるが、ほとんどの場合は「分からなくもないけど、ちょっと、ないね」となる。これは単純にUI理論の問題ではなく、ブランディングやマーケティング、あるいはコンセプトを十分に具現化するための要素技術レベルでの実現性能など、複雑な要素が絡んだ課題となる。

最後に、コントロール性について。

これは現代の UXD におけるひとつのテーマだと思う。つまり、複雑性の多くをシステム側に移動した場合、その動作原理がブラックボックス化し、ユーザーにとってのコントロール性が下がるという問題だ。これは「ユーザーが主体的に操作できるようにする」というデザイン原則に反する。

例えばドアに開閉ボタンがないと、ユーザーは自分の意思でドアを開けたり閉めたりできないと感じるかもしれない。何かの拍子に自動的に開いたり閉じたりするだけでは不安感があるかもしれない。

Google 検索のアルゴリズムはブラックボックスで、曖昧なキーワードによる検索には有益な結果を出すものの、詳細な条件による MECE な検索用途には向いていない。

膨大なインプットデータと高速な情報処理によって様々な分野でブラックボックス化が起きている。その際、インタラクションを極端に省略すると、ユーザーの労力は減るかもしれないが、同時にユーザーはコントロールを失ってしまう。

ストレスとは、物事に対してコントロールがきかないために生じる苦痛である。コントロール性は道具に求めれる重要な要素である。思いどおりに扱うことができないと感じる道具は、ストレスでしかないのだ。

今回の回答として、ひとつ残すボタンを「閉じる=出発ボタン」としたのは、エレベーターという乗り物をコントロールする上で最も基本的なユーザー意思は「発進」であり、それはむしろ隠匿すべきでないと考えたためでもある。開くボタンは確かに安全のために重要だが、その存在は自動開閉の弊害に関する対処策であって、階を移動するという行為の本質ではない。ドアに挟まるかどうかなど、ユーザーが気にしなくて済むならその方がよいのだ。

そのようなことも含めて、デザインは複雑なトレードオフのかたまりだから、理屈で妥当性を証明することはできない。フォークの歯は四本がベストだと、誰も事前には言い切れない。

ただそうは言っても、デザイナーは道具の合目的性やインテグリティを求めて常に思考ゲームを繰り返す必要がある。それは混沌とした可能性の中で少しでもデザインエントロピーを減らす試みであり、リベラルアーツを前進させる原動力となるだろうから。

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