Open

近視眼的な要求の断片から課題の本質を見定めて、シンプルで包括的なソリューションを考案するためには、すでに慣用的になっているデザインパターンを活用するのも手ですが、それにしても、目の前の事象や表層的な問題にとらわれず、一度常識を疑って全く違うアプローチをイメージしてみる想像力が必要でしょう。

例えば、エレベーターの操作パネルにおいて「開く」ボタンと「閉じる」ボタンを押し間違えてしまうという問題。エレベーターに先に乗り込んだ人が、続いて乗り込もうとしている人のために「開く」ボタンを押したつもりが、間違って「閉じる」ボタンを押してしまい、後から乗ろうとしていた人がドアに挟まりそうになる、ということがよくあります。

この問題はエレベーターのメーカーも認識しているようで、多くのエレベーターの操作パネルでは、「開く」ボタンと「閉じる」ボタンを視覚的に区別するための様々な表現が試みられています。

まず、「開く」と「閉じる」のボタンを「<|>」「>|<」のような記号で表している場合、これらは言語に依存しないので良いのですが、両者が視覚的に似すぎているので、やはり記号ではなく文字ラベルを使おうということになります。しかも漢字の「開」と「閉」はパッと見似ているので、漢字を使わずに「ひらく」「とじる」と平仮名で表記する方法があります。

それから、ボタンの大きさに変化をつけて、「開く」を大きく、「閉じる」を小さくしたり、色での区別もつけて、「開く」ボタンは緑色、「閉じる」ボタンは黒など他のボタンと同じ色にする方法。つまり視覚的に「開く」の方を強調しようとすること。そしてこれらを組み合わせた方法。

そんな試みが見受けられます。

ところが、これらの工夫をしても、やっぱり押し間違えてしまうのです。そのようなシーンを僕は何度か目にしました。ふたつのボタンの区別をはっきりさせるというデザイン上の工夫が、全く役立っていないとは言いませんが、根本的な問題解決には至っていないように思われます。これは何を意味しているのでしょうか。

いったい、ふたつのボタンの大きさを変えたり色を変えることで、どれぐらい判断の助けになるでしょうか。定量的に検証したわけではありませんが、僕は大して助けになっていないと思います。その理由は、ある選択肢セットにおいて、選択肢の数がふたつしかない場合、そのうちのひとつを強調するのは常に難しいからです。

強調表現をとるためには普通、相対的に大きくしたり太くしたり濃くしたり彩度を高めたりするわけですが、これが有効なのは、強調する項目の数が強調しない項目の数よりも少ない場合なのです。なぜなら、強調というのは「通常よりも相対的に重要」という意味だからで、強調項目の数が通常項目と同じもしくは多いと、「通常」の状態が定まらないからです。また、人の目はパターン認識に長けていますが、それが可能なのは複数の項目を群としてグルーピングできる場合であり、項目がふたつしかない場合にはパターン認識が働きません。ふたつの差は、「通常と強調」という群の相対性ではなく、 単に「AとB」という異なるふたつの個になってしまうからです。もしボタンが三つあって、そのうちのひとつが強調表現されていれば話は違います。その場合は強調が強調として正しく機能します。

ボタンがふたつの場合、強調したい方(「開く」ボタン)を緑色にするというのも、上記の理由からあまり有効ではありません。さらに、色というもの自体はそもそも強調表現になりません。大きさ、太さ、濃度、彩度などと違い、青とか黄色といった色には相対的な意味がありません。だから「開く」ボタンが緑色であってもそこから強調のニュアンスは発せられないのです。ただし例外は「赤」です。我々は赤だけには特別に反応します。だから赤であれば強調表現に使えます。ただしエレベーターのような乗り物では「赤」は非常ボタンに独占的に使われるべきなので、「開く」ボタンには使えません。

「開く」ボタンを「閉じる」ボタンよりも強調するために、大きさを大きくしつつ色も緑にすると、大きさだけを変えたり色だけを変えるよりもむしろ強調効果が下がる恐れもあります。選択肢セットの中で特定項目を強調する時には、「変化させる属性はひとつだけにする」という鉄則があるからです。我々の目は、同じものが沢山ある中で、そのうちのいくつかが小さな違いを持っている場合には目ざとくそれらを発見出来ますが、大きな差異には疎いのです。変化が大きすぎると、それらは選択肢セットの一員とはみなされずに無意識に視界から排除されてしまうからです。それらを認識するためには、もとの選択肢セットとは別の要素として「見直す」必要があるのです。

仮に「開く」ボタンをうまく強調できたとしても、やはり効果は低いでしょう。なぜなら我々はその表現を学習していないからです。全てのエレベーターが「開く」ボタンの強調表現を統一していれば良いのですが、実際にはそうではないので、「開く」ボタンを押そうとする時には、結局操作パネル上の沢山のボタンの中からラベルを頼りに探すことになります。これは相当大変です。また、「開く」と「閉じる」のセットが他のボタンとは位置的に離れた目に着きやすい場所に配置されていたとしても、「このエレベーターでは開くボタンが閉じるボタンよりも強調されている」ということを知っていなければ、やはりラベルを見て押すべきボタンを判断しなければいけません。

つまりボタンの表現という表層的な工夫だけでは、問題は解決しないのです。

ふたつのボタンの区別をはっきりさせるという試みの前提には、問題の原因が「ふたつのボタンが紛らわしいこと」にあるという仮説があります。そもそもそこから間違っているのです。

問題の本質を考えてみましょう。ここでは「開く」と「閉じる」という互いに正反対の動作を開始する一対のボタンを話題にしていますが、問題が起きるのは、常に「開くボタンを押そうとして閉じるボタンを押してしまった場合」であることに着目する必要があります。この間違いによって、今エレベーターに乗ろうとしている人がドアに挟まれるという危険にさらされるのが問題なのです。逆に「閉じるボタンを押そうとして開くボタンを押してしまう」というケースももちろんありますが、これは誰も危険にさらされず、急いでいる場合に若干の時間のロスが生じる程度で、大して問題にはなりません。

もうひとつ、「開く」ボタンを押す状況というのは、今から人が乗ろうとしているのに、ドアが間もなく閉まろうとしている(あるいはすでに閉まり始めている)ような時です。エレベーターに先に乗った人は、後から乗ろうとしている人の危険を察知して(あるいは乗せてあげようという善意から)急いで「開く」ボタンを押そうとします。急がなければドアが自動的に閉まってしまうからです。この「急いでいる」というのが押し間違えの大きな原因となっているはずです。誰でも焦っている時には判断や動作を誤りやすくなります。

つまり「開く」と「閉じる」は対の存在ですが、それらを押す状況としては全く深刻度が違うのです。そして問題を解決するためには、「開く」ボタンを即座に押せるようにすることが重要なのです。

ヒックの法則を適用してみると、「開く」と「閉じる」というふたつの選択肢からひとつを選ぶという意思決定にはだいたい240ミリ秒かかります(実際に押下するまでの時間は、これに加えて、状況判断の時間や押下動作の時間が必要)。それ以前に、沢山のボタンの中から「開く」と「閉じる」のセットを発見する必要がありますし、ボタンに手を伸ばして押下する時間も必要です。「開く」が強調されていたとしても、ユーザーはその表現を学習していないので、結局ふたつのボタンを確認してからどちらかを選ぶことになります。選択肢としてふたつのボタンがある限り、そこには選択行為が必要になるのです。

危険を回避するための緊急ボタンとして「開く」ボタンを機能させるのであれば、「閉じる」ボタンと対にして配置するべきではないのです。選択肢が増えればそれだけ選択のための意思決定に時間がかかるのですから、問題解決のためには、選択肢をできるだけ減らす必要があります。もし「開く」と「閉じる」が対ではなくて、「開く」ボタンが単体で目立つ所に配置されていれば、ボタン押下までの時間を短縮できます。ヒックの実験値で言えば約150ミリ秒です。また、「閉じる」ボタンが無ければ、そもそも間違ってドアを閉じてしまうということがなくなります。

実際、海外に行くと、「開く」のみで「閉じる」ボタンの無いエレベータをよく見ます。上記のような考察の結果かどうかは分かりませんが、少なくとも、押し間違いによって人をドアに挟んでしまうという状況は起こりにくくなっています。そのようなエレベーターでは、「閉じる」という明示的なボタンが無いわけですが、行き先の階数ボタンを連続押しするとすぐにドアが閉じるようになっていたりします。急いでいる人は階数ボタンを連打する傾向があるので、この仕様はそれなりに有効だろうと思います。優先度の低いタスクについては明示的な機能提示を行わず、でも「やる方法が無いわけではない」という風に落とし込む方法です。これにより重要な機能を効果的に強調して、全体をシンプルに保つことができます。

「開く」 ボタンだけにしてしまうというのは、そういったわけで、なかなか良いソリューションだと思います。ただそれでも、操作パネルの中から「開く」ボタンを発見できないという可能性がありますし、発見できても、手を伸ばしてそれを押す時間が必要です。エレベーターに複数の人が乗っている場合、ボタン押下の役目を譲り合ってしまって結局閉まってしまうということもあります。

それよりも、もしドアに人が接近したことを感知するセンサーがあれば、「開く」ボタンすら必要なくなります。実際そういうエレベーターも見たことがあります。そうなれば、センサーの精度にもよりますが、ほぼ100%問題を解決できそうです。これはかなり完璧なソリューションではないでしょうか。なぜ全てのエレベーターがそうなっていないのか不思議なぐらいです。ドアに挟まっても大した怪我にはならないからとか、防犯上の理由からでしょうか。保守性とか、何か他に理由があるのでしょうか。

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

Comments are closed.