Pandora

Apple が実践する「モードレス&リアルタイム」のインタラクションデザインは、作業の中から課税的な手続きを減らして、現実世界で我々が直接的に物に接するのと同じような感覚でソフトウェアを扱えるようにするための、よい方法だと思います。アプリケーションウィンドウには「保存」という手続きが無く、ユーザーは、動的にファセット分類されたデータオブジェクトを、大工がハンマーで釘を打ち込むように直接操作することができるのです。

ただしこの動的なグルーピングは、これまでの GUI の肝であった「空間的な一意性」と両立できないため、大きなトレードオフとなっています。そこで Apple は、Finder における「スマートフォルダ」、iTunes における「(スマート)プレイリスト」、iPhoto における「イベント」や「人々」などのように、タスクをオブジェクトのように見せることで、GUI 要素についての再定義を行おうとしているように見えます。

そうは言っても、コンピュータからモードを完全に取り去るのはほとんど不可能だと思います。それはコンピュータの特徴である多態性と矛盾するからです。デジタルデータやそれを処理するプログラムが概念的なロジックの産物である以上、そこには非連続的に定義された「用途」が存在し、それはタスクとなってユーザーを教育し、「意味のある操作」と「意味のない操作」をはっきりと区別します。ボタンも何もない所をクリックしても、システムにとってそれは意味のない操作なので、対象オブジェクトへは何の影響も与えません。つまりコンピュータプログラムは、必要な処理だけを実行するのです。プログラムに書かれていないことは起こらないのです。

コンピュータが持つこの従順性は、ユーザーの行動をコントロールしたいという管理者の欲求を満たすためには都合がいいのですが、その反面、自然界で経験するような、複雑な因果関係の中で偶然(と感じられながら)生まれる創作結果、言ってみれば人と道具が無限の可能性の中から限定的な根拠に基づいて作り出すコピー不可能な質をクリエイトするには向かないものだと言えるでしょう。

そうだとしても、操作のイディオムが「自動車」式であり、入力した内容がリアルタイムに反映され、そのフィードバックが即座に示され、そして各オブジェクトがコンテクストに対して自律的であれば、コンピュータでの作業にも奥行きを持たせることができるだろうと思います。別な言い方をすれば、ソフトウェアにも味わいを持たせることができるということです。

道具の味わいというのは、それを使った結果に良い意外性があるとか、使い慣れる程に思い通りの成果をあげられるようになるといった状況で感じるものです。はじめは分からなかったデザイン上の工夫に後から気付いたり、不合理だと思っていた部品に合理性を見出すなど、使い手側がある程度の経験を積むことで道具の特徴を理解し、あるいは目的に対して不足している点を補えるようになることで、人と道具が互いにポテンシャルを高めるような状況です。こういう状況になると、人はその道具を手放すことができなくなります。それはもう自分の能力の一部になってしまうからです。

もう少し単純に言えば、自分なりの応用がきくかどうかということです。応用がきくということは、道具に柔軟性があるということと同時に、使う側も道具に合わせて使い方を変えることができるということでもあります。だから人間の気まぐれに対して道具が一貫した性能を出せるかということが問題なのです。これは、道具が常に同じ結果を出すという意味ではありません。むしろ逆で、結果がユーザーのスキルと一貫した対応を示すということです。下手に使えば下手な結果になり、上手く使えば上手い結果をもたらすということです。スキルとは、一定の手続きを正確になぞることではなく、自分で良いやり方を考え実践できるということです。そのようなスキルに応じる道具、打てば響くような道具というのは、シンプルで無駄が無く、操作と結果の対応が自明であるようなコンポーネントの組み合わせで構成されている必要があります。

Apple の1987年版「Human Interface Guidelines: The Apple Desktop Interface」には、巻頭の「Philosophy」の章に、次のような一節があります。前にも少し要約した部分ですが、改めて引用してみます。

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A view of the user

(前略)このように人と仕事との関係に注目し、目的に合ったインターフェースを生み出すため、Apple Desktop Interface は、その対象となる人々のモデルを想定してきました。しかし、実際には人間の活動は複雑で変化に富み、人とコンピュータとの関係を完全に体系化できるような理論を構築するには至っていません。このような理論は極端に単純な形に置き換えて考えることができます。これは、人間の思考や行動様式はコンピュータ側からも影響を受けるからです。この意味で、コンピュータの設計と人間の活動は互いに影響し合いながら発展するものだと考える必要があります。Apple 社は、人間の行動の詳細の多くが理解されていなくとも、人間が示す反応に着目することが、わかりやすく効率的なコンピュータ環境の設計に役立つと考えています。

Apple Desktop Interface は、人間が生まれながらに好奇心を持った存在であるということを前提としています。好奇心は学習への欲求と言い換えることができますが、学習効果は自分の置かれている環境に自発的な探究心を持って接した場合に最も高くなると言えます。人間は自分を取り巻く環境をコントロールしたいという欲求を持っています。これには、自分の行為に対して掌握感を持とうとすること、そして、その結果を確認し、理解しようとする欲求が含まれます。また、意思の疎通には、言語をはじめ視覚や身振りによる伝達手段が用いられているように、人間は記号や抽象表現に慣れ親しんでいます。そして、条件が揃えば創造的で芸術的な存在ともなり得ます。作業や生活の場を楽しむことができ、やりがいに満ちたものであれば、生産性や効率は非常に高くなります。
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不思議なことにこの部分は後年の版では削除されてしまっています。しかし僕は、この考え方こそが Apple 製品の根幹にあるコンセプトだと思っています。同時にこれは、世の中のあるグループの人々にとって最も受け入れ難い危険な思想でもあります。よく読めば読むほど、この一節は過激なアジテーションなってパンドラの箱を開け始めるのです。

その箱の名は、「デザイン」です。

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