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Author Archives: Manabu
Button
GUI には、標準というか、一般化したコントロール表現がいくつもあります。ウィンドウやスクロールバー、テキストボックスやラジオボタンなどのフォームコントロール、メニューバーやツールバーなどです。その中でも、「プッシュボタン」は最も代表的な GUI 要素として語られることが多いと思います。 しかしそれはちょっと違うのではないかと思っています。 確かにボタンは、現実世界のメタファーを使っているとか、操作対象として目に見えるようになっているといった、GUI の特徴をよく備えています。 しかしボタンによって入力できるのは0か1かの「1」という論理値のみであり、無限段階のアナログな操作から最も遠い、極端にデジタルなインタラクションを強要するものなのです。 ボタンが便利なのは、ボタンを押し下げるというノイズの無い単純な操作で複雑な処理を実行できるところにあります。これは現実世界の機械でも同様です。システムの内部にどんなに複雑なアルゴリズムや機構があったとしても、それはユーザーに対して完全に隠匿されています。 別な言い方をすれば、ボタンの押下はバッチ処理を開始するための合図であり、間接的な操作なのです。そこにあるボタンを直接押せるという意味では直接操作なのですが、そもそもボタンはユーザーが着目している操作対象ではなく、シンタックスにおける「動詞」の選択肢にすぎないのです。 動詞の指定という操作は、インタラクションの「フロー感」をスポイルします。ユーザーの意識が、対象物の状態から所定のコマンドに移ってしまうからです。 つまり本当は、ボタンが全然無いような画面の方が良いのです。 ボタンは、道具としての機械が複雑化してきた過程において、直接操作の実現を放棄した挫折のユーザーインターフェースなのです。
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Gesture
Windows は Mac よりもキーボードでの操作に配慮されている、という話をよく聞きます。確かに Mac では、コントロールへのフォーカス表現や、メニュー類へキーボードからアクセスする手段が、長い間かなり限定されていました。 ただし僕の見る限り、「マウスだけで操作しようとする」ユーザーが多いのは Windows の方です。右手にマウス、左手はショートカットのポジションに、というスタイルで操作している人をあまり見ません。ユーザーの平均的な習熟度に差があるとか、右クリックが充実しているからキーボードショートカットが必要ないとか、やる人はキーボードだけで全部やってしまうとか、そういう理由もあるのでしょうが、僕が思うに、Windows ではキーボードショートカットがいまいち使い物にならないから、Mac 式のスタイルだと操作が効率化されないというのが理由ではないでしょうか。 そもそも Ctrl キーを起点にしたキーコンビネーションはタイプしづらくて手がつりそうになりますし、アプリケーションごとの一貫性も驚くほど低いです。これだと「手が覚えてしまう」ような状態にはなりにくいでしょう。コピー&ペーストぐらいが関の山で。 また Windows におけるメニュー項目やボタンの選択においては、ニーモニックというまた別なショートカットも併用されるので、なんだか複雑に見えるということもあるでしょう。 GUI における「目的語 → 動詞」のシンタックスの内、後半の「動詞」の部分を「手が覚えた」キーボードショートカットで行うことができると、もはやシンタックスには段階が無くなり、手続きを計画するという認知負荷が相当軽減されます。これによりユーザーの意識は作業の対象物と一体化したようになり、いわゆる「フロー感覚」を得やすくなります。 そもそも GUI の操作の中では、あまり意識されていませんが、「目的語」と「動詞」の指定が一体化したジェスチャも多く一般的になっているのです。例えばダブルクリックは「対象選択」と「開く」を同時に行うジェスチャですし、ドラッグ&ドロップは「対象選択」と「移動」が一体化したものです。更に、ウィンドウにスクロールバーが発生している時に、ウィンドウ内のオブジェクトをドラッグしてウィンドウの端まで持っていくと、その方向に自動的にスクロールするといった振る舞いは、「対象選択」「移動」「スクロール」という操作をひとつのジェスチャーで実現するものです。 これらのジェスチャが自然に実装されていて、思い通りの振る舞いをしてくれる時、ユーザーは手続きとしてのリニアな操作ステップを意識しなくてもよくなります。その時 GUI は最も強力なツールとなるのです。
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Analog
グラフィックソフトの操作というのは、かなりアナログ感が強いものです。手を動かして対象物を操り、加工していくという現実世界での作業感覚をそのままスクリーン内の二次元空間に持ち込んでいます。マウスを動かす身体的な動作が、そのままスクリーン上のキャンバスに反映されます。線をひいたり、オブジェクトを不定形に選択したり、ドラッグで移動したり、キャンバスを掌でスライドさせたり。つまり直接操作です。 グラフィックソフトでは、クリックする座標が1ピクセル違えば、それは異なる入力情報となります。その意味で、作業のある場面で取りうる行動は無数にあり、タスク全体で見れば操作手順はほとんど無限にあります。手順というものは無いも同然です。 グラフィックソフトで何かを作ろうと思った時、事前に操作の全ステップを計画することは無いでしょう。経験的に効率的な作業フェーズをイメージすることはあるでしょうが、次にどういう行動に出るかは、その時の対象物の状態から逐次判断されるのです。グラフィックソフトに限らず、ワープロで文章を書くなど創作系の不定形作業では皆そういう感覚がありますが、グラフィックソフトでは特に顕著です。 いってみればこのアナログ感が GUI のパラダイムなのですが、これをスポイルする手続きが頻繁に必要になるのも事実です。それは、メニュー選択やボタンのクリックです。これらは、作業の対象物に直接働きかけるための操作ではなく、提示された選択肢から目的に合う項目をデジタルに指定する間接的な操作です。だからこの手続きをキーボードショートカットで行うことで、タスク全体のフローは大きく効率化されるのです。 これは、マウスで選ぶよりもキーボードの方がいくらか速い、といったスピードベンチの話ではなく、作業に対する意識の純度の問題です。
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Shortcut
僕が仕事で使っていたソフトは、もっぱら、QuarkXPress、Illustrator、Photoshop といったグラフィックソフトでした。ある日、新しく Dimensions というソフトを使おうとしたところ、使い方がよく分からなかったので、知り合いの DTP のベテランの人にオフィスに来てもらって、教えてもらうことになりました。 その人はオフィスに来ると、早速 Dimensions や Illustrator を使って何かのグラフィックを作る実演をしてくれました。僕はその様子を見て、驚愕してしまいました。なぜなら、その人の操作はあまりに速く、そして何をやっているのか全く分からなかったからです。 操作が早いといっても、マウスやキーボードを忙しく動かしているわけではありませんでした。むしろ僕に分かりやすいようにゆっくりと操作しているようにさえ見えました。ほとんど手を動かしていないんじゃないかというぐらい、最小限の動作しかしていないのです。 僕は画面上のマウスポインターの動きを一生懸命目で追っていましたが、それでも何をやっているのか分かりませんでした。手をほとんど動かしていないのに、作業はどんどん進んで行くのです。操作手順を覚えようと思っても、その作業から決まった手順のようなものは見えてこないのです。 僕はあることに気付きました。その人の左手は、常に親指をコマンドキーに乗せていて、それがホームポジションになっていました。そしてキーボードショートカットを多用しているのです。右手は常にマウスを持っていてアクセラレーションをうまく使って最小限の動きでターゲットの座標にポインターを移動します。この、マウスとショートカットの組み合わせを徹底して続けているようでした。僕は画面よりもその人の手の動きに着目しました。それは曲げわっぱ職人のように無駄がなく、優雅でした。 マウス操作とキーボードショートカットは交互に行われているようでした。対象物の選択はマウスで行い、それに対するコマンド実行はショートカットで行っているのでした。ショートカットのキーコンビネーションはほとんど手が覚えてしまってるようで、考えることなく指が動いていました。トランペットの奏者がドレミという音階を吹く時、それぞれの音の押さえ方を意識することなく、音程と指の形がダイレクトに一体化され、無意識的に運指がなされるのと同じ感じでした。コピー、ペースト、アンドゥ、ウィンドウを閉じる、ツールの切り替え、キャンセル、その他アプリケーションに用意されている基本的なコマンドは、マウスによる対象選択の後、ショートカットによって瞬時に実行されるのでした。 そういう操作で作業が進められると、第三者からは何をやっているのかさっぱり分からないのでした。
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Tool
数年して、気がつくと、僕は Mac を道具にして広告などを作るグラフィックデザイナーになっていました。Mac を使って物を作るのは相変わらず楽しくて、徹夜も苦になりませんでした。 この楽しさはいったいどこから来るのだろう、というのが僕の疑問でした。機械の操作が楽しいという経験は、車と Mac だけでした。考えても理由が分からなかったので、恐らく、作った人にも分からない、何か偶然の産物なのだろうと勝手に思っていました。 オフィスには広告を出稿した掲載紙が沢山置いてありました。その頃のクライアントの多くはコンピュータ関係のベンダーやショップだったので、Mac 関係の雑誌もいろいろあり、僕はいつもそれらを隅々まで読んでいました。記事の中には時々、Mac の歴史みたいな解説があって、ダグラスエンゲルバートとかアランケイとかいった名前が登場していました。ただ、Mac の楽しさがどこから来るのかということについて端的に言い当てているものは見つかりませんでした。「Macの謎」という本があって、Mac の技術的な特徴について分かりやすく書いてあり、参考になりましたが、僕の謎はまだ解けませんでした。 僕の仕事は DTP で印刷物のデータを作ることだったので、組版とか印刷技術についてもそれなりに勉強しましたが、僕の興味の対象はどちらかというと、道具である Mac 自体の操作性に移っていきました。
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Pointer
それから僕は時々タームペーパーを書きに学校のコンピュータラボに行くようになりました。そこには Mac の部屋というのがあって、Mac ばかりが30台ぐらい置いてあり、自由に使うことができました。僕はそこでよく、ペイントソフトを使って、3時間ぐらいかけて壮大な点描画を描いたりしていました。とにかくMac を触るのが楽しかったのを記憶しています。 ところで、ペーパーを書くためにはワープロソフトを使うわけです。それまでいわゆるワープロ機は使ったことがありましたが、GUI 上のワープロを初めて使った時、奇妙なことに気付きました。 ワープロ機の画面では、カーソルというのがあって、タイプした文字の挿入ポイントを示しています。これは要するに、文字列というリニアな情報の中で自分の今の居場所を表していて、カセットテープの再生/録音ヘッドみたいな感じの役割に見えます。 GUI のワープロの画面にもIビームカーソルがあり、文字をタイプすればそこに挿入されるのですが、それとは別に、マウスポインターというのがあって、マウスを動かすと、カーソルの位置はそのままに、ポインターを任意の座標に移動できるのです。文字列中の好きな場所にポインターを合わせてクリックするとそこにカーソルが瞬時に移動します。が、クリックしなければ、カーソルは元の位置のままで、タイプすればそこに文字が入ります。その場合、ポインターを動かした操作は何の意味もなかったことになります。 これは一体どういうことだろうと最初は不思議に感じました。マウスポインターというのは、自分の居場所であるカーソルとは独立した存在で、好き勝手なところに移動でき、その操作が意味を持つのは、クリックという明示的なジェスチャをした時だけなのです。次に何をしようかとマウスをうろうろさせて、気が変わればそのまま何もしなくてよいのです。 そう考えると、自分の意識の所在というのは、カーソルではなくむしろマウスポインターの方にあるのだということに気付きました。何かをしたければクリックすればよいですし、何もしたくなければ放っておけばよいのです。 逆に言えば、いつでも好きなことを始められるということです。今は自分は何をすべきであるという決まりはなくて、単にこれから自分が何をするかということだけがあるのです。 これはなかなかの発見でした。
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Event Driven
その頃また別のクラスで、それは物理の授業でしたが、Mac を初めて操作しました。物体の落下速度を計測するみたいな授業で、教師が、「これは生物の授業ではないが、今日はマウスを使います」とかいうジョークを飛ばしつつ、各テーブルに用意してあった Mac のスイッチを入れていきました。その実験のためのアプリケーションが Mac で動くものだったのです。 「この中で、マウスを使ったことがない人いますか?」と教師がたずね、何人かの生徒が手をあげました。僕も手をあげました。すると教師は、「では君たちはまずこのアプリケーションを使ってみてください」と一台の Mac の画面を指差しました。そこには、髪の毛を七三に分けた、目が点でできている男の漫画が映っていて、「Macintosh Basics」というタイトルが表示されていました。例の、マウスの練習やデスクトップメタファの学習をするチュートリアルプログラムです。 僕はそれが楽しくて、何度も繰り返しやりました。マウスによるインタラクティブな反応も楽しかったのですが、金魚に餌をやりすぎると七三男に注意されるみたいな、遊びネタが付加されているところが気に入りました。こちらの行動に応じて様々な反応を示すコンピュータは、まるで生きた存在であるかのように感じられました。 プログラミングという作業がどういうものか何のイメージも持っていなかった僕にとって、そのイベントドリブン(もちろん当時はそんな言葉は知りませんでしたが)な世界は、いったいどうやってできているのかとても不思議でした。膨大な反応のバリエーションがあらかじめ裏に用意されているのだとは(そんなめんどくさいことをする人がこの世にいるとは)、思いもよらなかったのです。
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Mac
専攻していた写真のクラスで、僕は白黒写真に着色して古写真みたいな感じにするというのをテーマにいろいろと作品を作っていました。担任の教師はパティスミスにそっくりで、いつもライダーブーツを履いていました。そのパティ先生がある日、最近はこんなのがあるんだぞと言って、ラボにパソコンを持って来て、Photoshop をデモしました。 写真のレタッチが自由自在にできて、色を塗るのも簡単。それまで暗室で薬品にまみれながら何日もかけてやっていたような作業が、数秒でできてしまうのでした。これまでの苦労は何だったんだと、僕はとてもショックを受けました。 またそのパソコンというのが、同じパソコンでも、コンピュータサイエンスのクラスでやっている黒い画面のものとは全く違うもののように見えました。 これが Mac に接した最初でした。
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Tree Structure
僕が最初にパソコンに接したのは、「コンピュータサイエンス101:DOS の基礎」とかいう大学の授業でした。 僕はその頃、将来はバンドマンか画家か写真家か小説家になろうと思っている根っからの文系人間で、コンピュータについては全く興味がなく、できれば一生関わりたくないと考えていたのですが、一般教養の単位のためにその授業を取ったのでした。 授業は最初、理論というか概念的な説明から始まりました。教師が黒板に木の根っ子みたいな絵を描いて、ディレクトリがどうのこうのと言い出しました。僕はファイルシステムやメモリシステムについて何の前提知識も無く、そもそもコンピュータが何をするための機械なのかも知らなかったので、木の根っ子がコンピュータとどういう関係があるのかさっぱり分かりませんでした。 考えてみると、それまで僕の頭には、ツリー構造という抽象概念は無かったのかもしれません。 マトリョーシカみたいな入れ子構造と言ってくれればまだ分かったかも知れませんが、それでも、マトリョーシカと木の根っ子が同じものとは到底思い当たらなかったでしょう。
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Direct Manipulation
GUI の特徴は三つあると思います。 グラフィカルな見た目 「目的語 → 動詞」のシンタックス 直接操作 GUI を GUI たらしめているのは、スクリーンがグラフィカルであることよりも、むしろ「目的語 → 動詞」のシンタックスで操作するところだと思います。 このシンタックスを守っていれば、見た目が文字だけでも GUI と言えるでしょう。ただしその場合でも、スクリーンは二次元の空間として表現されていないといけません。そうでないと、直接操作が成立しないからです。 ベン・シュナイダーマンは『ユーザー・インターフェースの設計』の中で、直接操作の実現方法として次の三点をあげています。 操作対象及び動作の連続的な表示 複雑な構文ではなく、物理的動作やボタンによる操作 操作対象への影響が即座に見られる高速で逐次的かつ可逆的な操作 つまり、コンピュータの操作からできるだけ間接的なメンタルモデルを排除し、現実の物理法則に従ってユーザーインターフェースを表現するということです。
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