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道具のデザインの二大コンセプトである「モーダル」と「モードレス」。その「モードレス」の方について考えてみます。

モードレスなデザインはオブジェクト指向であり、その目的は、ユーザーを多様なゴールに導くための「プロセス自体を提供すること」です。ユーザーが行うべき意思決定は「各作業ステップにおける次の一手」です。次の一手をどうするかの判断は逐次的になされ、その判断基準は、処理対象のオブジェクトが「望む感じに近づいているかどうか」です。このイディオムは主に創作系のアプリケーションで採用されており、ユーザーがこれでよしと思った時点が作業の終了となります。

オブジェクト指向の道具は、タスク指向の道具と違って、ユーザーのタスクを特定しません。特定してしまうと、操作のイディオムがモーダルになってしまい、作業を実験的に進めることができなくなるからです。Photoshop で画像を作るのに、作業手順が決められていたら困ります。iTunes で音楽を聞くのに、ジャンルごとに別なウィンドウを開かなければならないのだと不便です。Amazon で商品を探すのに、トップページで「今日は買い物をしますか? それとも冷やかしだけですか?」と質問されるのだと嫌です。そんなおかしなデザインにするわけがないと思うかもしれませんが、身の回りにあるタスク指向のデザインを見てください。例えば駅の券売機や ATM、そしてほとんどの業務アプリケーション。これらは皆、タスクを特定した結果として(それが必然だったとしても)、モーダルで不自由な操作性になっているはずです。

思うに、モーダルな道具が世の中に増え始めたのは最近のことではないでしょうか。つまりテクノロジーが発達することで道具の機構が複雑化し、利用価値の評価対象が「オートメーション」に移行したのです。オートメーションとは処理プロセスの自動化ですから、すなわちモードと同義です。

では、オートメーション以前の道具に求められていた価値とは何でしょうか。

例えば単純な道具、ハンマーを考えてみましょう。ハンマーは腕の延長として機能し、自身の質量や硬性、そして振り下ろす時の梃子の作用を利用して釘を打ち込みます。つまりユーザーの身体動作と道具の静的な性質が相乗して利便性を生み出しています。

釘をうまく打ち込めるかどうかは、ハンマー自体の性質にもよりますが、ユーザーのスキルにも多く依存いています。ユーザーはどうやってスキルを向上させるのかというと、知識やマニュアルの理解などではなく、単に何度もハンマーを使って、自分がどのような動きをすればそのハンマーのポテンシャルを引き出せるのかということを経験から体得するのです。別の見方をすれば、ハンマー側の性質として、ユーザーのスキルを素直に結果に反映する「操作と結果のシンプルな対応」が実現されていなければなりません。

ハンマーはモードレスな存在であり、コンテクストを限定しません。誰がいつ何の目的で使うのか、ということには無関心です。初心者の大工が使うのか、熟練の大工が使うのか、犬小屋を作るのに使うのか、高層ビルの建築に使うのか、基礎工事に使うのか、室内施工に使うのか、雨の日に使うのか、晴れの日に使うのか。それらはユーザーが決めることであり、基本的には、デザインの仕様に影響を与えません。

とは言っても、ハンマーには色々と種類があるでしょう。プロの大工は、コンテクストに応じてそれらを使い分けるかもしれません。ではハンマーの種類はどのような観点で区別されるのでしょうか。それは、打ち込む釘の性質であったり、叩く対象物の性質です。小さな釘を打つためのハンマー、大きな釘を打つためのハンマー、柔らかい物を打つためのハンマー、硬い物を打つためのハンマー、といった具合です。

前に包丁の話をしましたが、包丁も同じで、寿司屋のための包丁とかラーメン屋のための包丁というものがあるわけではなく、刺身を切るのに最適化された包丁、麺を切るのに最適化された包丁があるだけです。仕込みのための包丁とか、閉店間際に使う包丁というのは無いのです。

つまりモードレスな道具は、その道具が扱う対象物の性質に合わせてデザインされるべきだということです。考えてみれば単純な話で、タスク指向な道具がタスクを手掛かりにデザインされるのだから、オブジェクト指向な道具はオブジェクトを手掛かりにデザインされるのです。そして、そこで提供される機能性をコンテクストにマッチさせるのは、道具側ではなく、ユーザー側の責務なのです。

例えば Photoshop が扱う対象物は「デジタル画像」です。だから Photoshop は、デジタル画像というものが持つ性質を手掛かりにデザインされていて、それを処理するための効果的な機能を提供しているはずです。Photoshop が創り出すユーザーイリュージョンはかなり強力なので、ヘビーユーザーであるほど、自分の要求が Photoshop の性能に知らず知らず最適化され、そしてそのことに気づかないでしょう。しかしそれは悪いことではないのです。そもそも Photoshop のようなツール無しにデジタル画像を編集することはできないのですから、可能な範囲で最高の結果を得るためには、要求がツールの性能とマッチしている必要があるのです。

同様に、iTunes のデザインはデジタル音声という対象物に最適化されていますし、Amazon のデザインはオンラインの商品というものに最適化されています(ただしショッピングはタスクなので、ショッピングという行為を確実に行わせるために、EC サイトでは購入フローの部分をモーダルなウィザードで提供するのが普通です)。

扱う対象物を手掛かりにデザインする場合、そこにどの程度の機能性を持たせるかは、純粋に製造者の判断で決めることができます。任務として特定のゴールがあるわけではないので、ライトユーザー向けに単純な機能をだけを提供するのか、ヘビーユーザー向けに複雑な機能を提供するのか、製造者側が好きに決められるのです。ビジネスとしては当然、顧客が求める「価格と機能と使い勝手」のバランスによって仕様の落とし所が決められるでしょう。その意味で、モードレスな道具の仕様は、ボトムアップに定義されるものだと言えます。これはタスクというトップダウンの要件で仕様が決まるモーダルな道具と対象的です。

少しまとめてみましょう。

  • コンテクストは構造化できないのでデザインの手掛かりとしては曖昧過ぎる。
  • 人という単位が道具のデザインに対して意味を持つわけではない。よってユーザー像を特定してもデザインの手掛かりにはあまりならない。
  • モーダルなシステムは課せられたタスクを手掛かりにデザインする。
  • モードレスなシステムは処理対象のオブジェクトを手掛かりにデザインする。

そしてモードレスなシステムは、ユーザーの行動と相乗することで利便性を生み出すのです。

アランケイは、マクルーハンの「メディア論」について次のように言っています。

彼が「メディアはメッセージである」という場合、メディアを利用するには自分自身がメディアにならなければならないということを意味している。これはかなり恐ろしいことである。人間は道具を作った動物ではあるが、道具の使い方を学ぶことが私たち自身を変える、という点に道具と人間の本質があることを意味している。

人の歴史は道具の歴史でもあります。人は道具を使うことで物事の捉え方やコミュニケーションの意味を変容させてきました。しかしそのことにあえて気づかされるには、道具がバーチャルなイリュージョンを創り出し、抽象概念を直接操作するという、現代のコンピュータメディアの登場が必要だったということでしょうか。

Apple のガイドラインから消された一節が、この発見に根ざしたものであることは明らかでしょう。

コンピュータの設計と人間の活動は互いに影響し合いながら発展するものだと考える必要があります。

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