Art

ユーザー中心というスローガンが、時としてユーザーを神格化してしまうことに、僕は違和感を覚えます。道具は、ユーザーに合わせてデザインするのではなく、課せられたタスクあるいは処理対象のオブジェクトに合わせてデザインするべきだと考えるからです。それがうまくいけば、ユーザーが便利にその道具を使うのです。

よく、デザインとアートは違う、という話をする人がいます。デザインには目的があるけどアートには無いとか、デザインは理論的でアートは感性的だとかいう話です。一般的な語感としては間違っていないと思いますが、このように両者を区別することで、デザインとアートの本来の可能性を見誤る恐れがあると思います。

デザインとアートは、本来同じような価値観を指しているはずです。

辞書的な意味合いとしては、デザインとは、ある目的を達成するための計画もしくはその計画をモデル化したもの。アートとは、人が知識とスキルによって物事を体現/具現化したもの。つまりデザインとアートは「モデル」と「ノウハウ」の関係であって、我々は普段何かを作る時、思考過程でこの両者を区別しないでしょう。これらは表裏一体で、どちらか一方だけを行うことはできないはずです。(コンテンポラリーアートの世界では、モデルもノウハウも無くほとんど無作為に作られたような作品が多くあります。それらは偶然性の産物であって、アートという言葉の本来の意味からは正反対の存在だと思います。)

ダビンチやミケランジェロは、アーティストでありアーキテクトでした。現代の感覚からすれば、彼等はひとりでいくつもの才能を持った多重人格者のように映るかもしれません。実現不可能と言われたサンピエトロ大聖堂の巨大ドームを設計した建築家と、システィーナで天井画の最高傑作を描いた芸術家が、同一人物であるということは、にわかには信じ難いことです。しかし当時は、建築と絵画や彫刻は切り離せないものであり、教会を中心とした社会システムの構築という目的への一元的なデザイン活動だったわけです。その意味で、彼等は単にデザイナーなのです。

その後建築や美術は、モチーフが持つメッセージよりも機能性や表現方法自体に意味を持たせるようになっていきました。しかし、印象派に代表される近代絵画の方法論に当時急速に発展した光学研究の成果が欠かせなかったように、もっと言えば、ニュートンがこの世界に遍在する絶対的な法則を探求する上で彼の宗教観がモチベーションになっていたように、バッハが分散和音を起譜する時に神の旋律を聞いていたように、我々は理論と感性を区別せずに物事を創作してきたはずです。というか、理論と感性が完全に同化したような創作物ほど、美しく見えるのです。

人はそのような創作活動の中で、時折ものすごいものを作り出します。例えば「車輪」がそのひとつでしょう。誰が作ったのか知りませんが、理論だけでも感性だけでも到底到達できないような完全性がそこにはあります。よく「車輪の再発明をするな」などと言いますが、あんなものは、発明しようと思って発明できるものではないのです。その完全性は、ほとんど神がかっています。プチ神の領域という感じです。

神格化すべきは、そのような完全性の高いデザインなのではないでしょうか。

前に書いたとおり、デザイナーは、「直進、左折、右折」という要求に対して、三つのボタンではなく、「ハンドル」を生み出さなければいけません。そのためには、積み上げ式のロジックを超越する飛躍が必要です。飛躍するためには、視点の相対化と、課題の本質を見極める洞察力が求められます。

別な言い方をすれば、発案者と設計者が別々である場合(つまり請負型の開発案件)、発注者によって要求事項が明文化された時点で、デザインは半分死んでしまうのです。特に発注者がモーダルな人だと、良いデザインは生まれにくくなります。「直進、左折、右折」という要求に対して「ハンドル」を提案しても、「真っ直ぐ進むためには手でずっとおさえてないといけないじゃないか。それでは要求を満たしていない。」といって却下されてしまうのです。受注者側がこれを論破するのはかなり困難です。発注者はデザインの完全性に対価を払うのではなく、リストされた要求事項ひとつひとつへの対処に対価を払うからです。

つまり本当は、ユーザーがそうであるのと同様に、発案者自身も、デザインに合わせて自らの要求を変化させる必要があるのです。でも普通そういうことは起こりません。だから極端に言えば、発案者と設計者(デザイナー)が異なる場合、良い製品は生まれないのです。世の中に存在するよく出来た製品は、たぶんほとんど、発案者自身がデザインしたものではないでしょうか(ひとりでなくても、極近しい組織内で)。発案者がデザインするというよりも、デザイナーが発案すると言った方が良いかもしれません。料理家が料理を発案するのと同じです。漫画家が漫画のストーリーを考えるのと同じです。例外もありますが、基本はそういうことでしょう。

デザイナーが発案した製品は、自分のデザインの可能性に最適化されています。また、デザインの過程において、実験的な検証を経て元のアイデアを修正しつつ、それでも全体の世界観に秩序を維持することができます。デザインの過程において、次の一手は、その時点のデザインの状態から逐次判断されるのです。

そう考えると、デザインという行為は基本的にモードレスなもので、それを行うデザイナーというのはモードレスな人間ということになります。モーダルな人(決められたことを正確に実行することに達成感を感じる人)はデザイナーには向きません。そしてデザイナーが発案して作った製品は、それが決められた要求への対処として作られていないという意味で、モードレスな道具だということです。

モードレスな人がモードレスな活動によってモードレスな道具を作る。それが良いデザインの背景にある構図ではないでしょうか。

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