GUI に現れる記号は、Apple が言うとおり、自然言語、視覚言語、身体言語のコンビネーションで構成されています。自然言語とはラベル類で、視覚言語はウィンドウ、アイコン、フォームコントロール、およびハイライトやスライドなどのフィードバック効果、そして身体言語はマウスの操作を中心とした入力ジェスチャです。
これらの記号が組み合わさって、イディオムとなります。ジェニファーティドウェルの「デザイニング・インターフェース」によれば、ユーザーインターフェースのイディオムには次のようなものがあります。
- フォーム
- テキスト編集ツール
- グラフィック編集ツール
- スプレッドシート
- ブラウザ
- カレンダー
- メディアプレーヤー
- インフォメーショングラフィックス
- 没入型ゲーム
- ウェブページ
- ソーシャル空間
- ECサイト
よく分からないものもありますが、要するにこういう粒度の世界観をイディオムと言っているわけです。
例えばグラフィック編集ツールは、ビルアトキンソンの MacPaint によって基本的なイディオムが確率されたと言われています。Photoshop をはじめ、その後に登場した同種のアプリケーションは、だいたい似た操作性になっています。
ジェニファーティドウェルは同書で、僕の言っている「記号」と同じような意味でパーツという言葉を使い、次のように言っています。
「各パーツが十分に慣用的であり、パーツ同士の関係が明確になっていれば、ユーザーは初めて目にするインターフェースであっても経験的知識を駆使して理解できる。ここでパターンの出番がやってくる。」
デザインパターンとは、ある目的に対して慣用的になっている記号の組み合わせ方です。ひとつひとつの記号はレゴブロックのように高い汎用性を持っていて、その組み合わせ方は無限にありますが、先人の経験の中からうまくいっているやり方を抽出してくることで、設計効率と利便性を最大化しようとするものです。
ところで、デザインパターンを語る上では、アレグザンダーの「無名の質」を避けて通れません。アレグザンダーが建築におけるパターンランゲージを編纂しようとしたのは、生活空間の中でいつのまにか生まれてくる「いい感じ」を計画的に再現すべく、そこに現象として確認できるいくつかの共通要素を抽出してまとめようと考えたからです。
無名の質とはコンテクストそのものであり、自然界の事物が持つ、複雑で相対的な関係性の中で感じとられるものです。だから人がこれを直接作り出すことはできませんが、そのエッセンスを調べることには意味があるでしょう。
なぜなら、それがデザイナーにとって飛躍のコツとなるからです。
その意味で、デザインパターンというものを即物的なカタログとして捉えるべきではないと思います。単なるコンポーネントとしてではなく、発想の転換や視点の相対化のために役立てなければいけないのだと思います。
そんなようなことを、僕は「デザイニング・インターフェース」の監訳をしながら考えていたのでした。
それと同時に、僕はオリジナルのUIデザインパターンを作ろうと決めました。そこでは、単なるサンプル集ではなく、簡単にはコンポーネント化できないような、もっと感覚的あるいは思想的なパターンをあえて取り上げようと考えました。世の中にまだそういうものがないと思ったからです。
そこで僕はまず、ユーザーインターフェースにおける最も根源的なデザインパターンは何だろうと考えはじめたのです。