僕は iPhone を使っていて、かなり気に入ってます。このブログも全文 iPhone で書いているのです。iPhone 以外の携帯を使うことは、今となっては苦痛以外の何ものでもありません。ところが、今日、iPhone を1年使って解約したという女性の記事を読んだのですが、これには何というか、妙に納得してしまうところがありました。
この人が iPhone に感じた不満の第一は、文字入力がしづらいということでした。歩きながら片手で入力するのが難しいということです。それから不満の第二は、ナビ機能が弱いということでした。GPS の地図や施設案内の使い勝手が悪く、使い物にならないというのです。
確かにハードキーを持たない iPhone は、手の小さな女性が早歩きをしながらタイプするのは難しいかもしれません。僕にとってもそれは難しいです。また、iPhone のナビ機能的なものがドコモやAUのサービスと比べてどうなのか僕はよく知りませんが、たぶんこの記事の通りなのでしょう。
ただ、少なくとも僕はこれらのことに大きな不満に感じたことはありません。というか、そもそも歩きながら文字を打たなければならない状況はそれほど多くないですし、マップや施設案内といった機能は普段あまり使わないのです。考えてみたら、僕は滅多に道に迷いません。道を間違えることはあっても、迷子にはなりません。
むしろ僕が不満なのは、モバイルスイカが使えないことと、ソフトバンクの通話品質が悪いことです。でもそんなことが iPhone を解約する理由にはなりません。iPhone のユーザーイリュージョンの前には、そんなのは些細なことなのです。
この人が iPhone を解約した理由は、iPhone の機能性についての不満もあるでしょうが、それ以前に、もともと iPhone に何かとっつきにくさを感じていたからではないでしょうか。と、かなり勝手に予想します。
この人は、自身のことを極度の方向音痴と言っています。また記者という職業柄、文字を書く(タイプする)のが好きなのでしょう。そこがポイントです。
俗説として、男性は空間感覚に優れ、女性は言語感覚に優れると言われます。地図を見る時、男性は現在地と目的地の関係を空間的に捉えるけれど、女性は記憶や目印を手がかりに道順を知織化しようとする、というやつです。
男女間での差異が実際どれぐらいあるのか知りませんが、確かに世の中には、物事を大局的に見ることに長けた人と、シリアライズして見ることに長けた人がいると思います。空間認識というのは、位置、方向、大きさ、形状、間隔といった相対的な関係性の中で物事の性質を大局的に把握することです。これは恐らく、身体の運動能力やビジュアルコミュニケーション能力とも密接に関係しているでしょう。一方言語認識とは、始まりと終わりを持つ順次的な展開によって物事をシリアライズして理解することです。我々の話す自然言語は、当然、言語認識能力を使って入出力されるものでしょう。
OOUI、特に iPhone のUIは、極端に記号的です。記号的というのは、自然言語によるガイダンスをほとんど排除し、空間的表現を多用した非自然言語的なビジュアルボキャブラリーで構成された世界ということです。今何ができて、その結果何が起きるのかは、オブジェクトの位置や形状、視覚的な状態変化などを通じて示され、学習されることが期待されています。つまりそれを活用するためには、結構な空間認識能力が必要なのです。
iPhone の使い方を言葉で説明するのは難しいのです。でも使っている様子を一度見れば、同じように使えるはずです。そこにはグラフィックオブジェクト同士の精緻なインタラクションが織りなすモードレスな世界が広がっています。
けれど、空間認識があまり得意でなく、自然言語的な情報表現を好む人にとっては、この極端に記号的なUIは、理解するのにちょっと頭を使わなければならないパズルのように感じるかもしれません。そこまで大袈裟でなくても、地図の中から曲がり角ごとにひとつひとつ目印を見つけなければいけないような不安感があるのかもしれません。
十字キーでの順次的なフォーカス遷移を基本とした携帯電話の操作は、リニアで、モーダルなものです。操作方法を操作の手順として言葉で説明したり、覚えたりすることができます。自然言語的なコミュニケーションを得意とする人にとっては、とっつきやすいでしょう。前にも書いた通り、絶対数で言えば、このような自然言語的な操作を好む人の方が多いようです。彼等は、つまりモーダルな人々は、普通の携帯電話に対してそれほど大きな不満を感じないのでしょう。でもモードレスな人達は、そんな携帯電話ががまんならないのです。iPhone を触ったらもう戻れないのです。
- モードレス:空間的
- モーダル:言語的