ISO 9241-11

我々は、道具の操作性について議論をする時、ユーザビリティという概念を用います。ユーザビリティという概念は、定量的な計測対象として厳密に定義されることもありますし、もっと感覚的な評価も含めて広く定義されることもあります。ただし教科書的な文脈においては、ISO 9241-11 の定義がよく引用されます。

定義の原文はこうです。

ISO 9241-11 のユーザビリティ定義:
Extent to which a product can be used by specified users to achieve specified goals with effectiveness, efficiency and satisfaction in a specified context of use.

また、ISO 9241-11 をもとにした JIS Z 8522 というものがあり、上の定義を和訳したものとして次の一文があります。

JIS Z 8522 のユーザビリティ定義:
ある製品が、指定された利用者によって、指定された利用の状況下で、指定された目的を達成する際の、有効さ、効率及び利用者の満足度の度合い。

さらに上の和訳をもとにしたと思われる別の言い回しとして、次の定義文をよく見かけます。

よく見るユーザビリティ定義:
特定の利用状況において、特定のユーザーによって、ある製品が、指定された目標を達成するために用いられる際の、有効さ、効率、ユーザーの満足度の度合い。

僕はUI関連の用語集を作成している時に、ISO 9241-11 を自分で和訳してみようと思い、上記の三つをよく見くらべて見ました。すると、ちょっとおかしなことに気付いたのです。

英語の原文からして、形容詞がどの名詞にかかっているのか分かりにくいところがあるのですが、上のふたつの和訳はいずれも、重要なところを誤訳しているように思われたのです。

例えば JIS 訳について、述語だけを取り出すと、「有効さ、効率及び利用者の満足度の度合い」となっています。しかし原文では、「Extent to which a product can be used」ですから、日本語で言えば「利用することができる度合い」となっているはずです。

つまりユーザビリティの定義として、ISO 原文と JIS 訳文では、次のような違いが発生しているのです。

  • ISO 原文:ユーザビリティ = 製品を利用することができる度合い
  • JIS 訳文:ユーザビリティ = 有効さ、効率及び利用者の満足度の度合い

これは大きな違いではないでしょうか?

ISO の定義では、ユーザビリティとは、有効さや効率や満足の度合いではなく、「製品を利用することができる度合い」なのです。JIS の定義に従ってしまうと、ユーザビリティは、有効性、効率、満足度の三つの値で表せるということになりますが、ISO の原文に従えば、ある製品を有効に、効率的に、そして満足しながら「利用することができる度合い」を計らなければならないのです。「有効、効率、満足」の三つは、「度合い」にかかるのではなく、「利用」にかかるのです。

この解釈が合っているならば、日本では、間違った定義が広く用いられているということになります。

ということで、僕は次のように訳してみました。

特定の目的を達成するために、特定の利用者が、特定の利用状況で、有効性、効率性、そして満足とともにある製品を利用することができる度合い。

「効率性」というのは日本語として少しおかしいですし、「有効性」というのも本来は「有効さ」が正しいのですが、「〜とともに(with)」という言葉を含めたかったため、全体の収まりを優先してこうしました。

ところで、和訳の齟齬についてはさておき、この定義で特徴的なのは、「特定の(specified)」という単語が繰り返し用いられている点でしょう。これはつまり、ユーザビリティという概念は、状況が特定されていてはじめて成立するとしているわけです。

状況というのは、ユーザーの性質や利用環境、利用目的などです。Aという性質のユーザーが、A’ という環境で、A” の目的のために、A”’ というシステムを、有効に、効率的に、満足しながら、使うことができる度合い、が問題だということです。要するにそこでは、ユーザーサイドからの総合的な要求、つまりコンテクストに対するシステムの合理性に着目しているわけです。言い換えれば、ユーザビリティを高めるためには、ユーザーのコンテクストを正しく定義して、それに沿ってシステムを設計しなければならないということです。

システムの要求分析やユーザビリティエンジニアリングの取り組みを定常的に行っている人からすれば、そんなことは当たり前だと思うでしょう。実際、「良いシステム」を構築するために最も重要なのは、上流工程においてユーザーのニーズを正しく定義することである、と説いている有識者が多くいます。

いわゆる UCD/HCD のメソッドにおいても、如何にしてユーザーの要求を抽出するのかという部分で多くの方法論が提案されています。エスノグラフィックアプローチもそうですし、コンテクスチュアルインクワイアリーもそうです。シナリオ法もペルソナ法もタスクフロー分析も、細かなバリエーションは色々ありますが、目的はユーザーニーズの抽出にあります。

しかし、デザインという活動の本質を考えた場合、これらの取り組みは多分に自己矛盾的であるということをよく反省する必要があると思います。なぜなら、コンテクストを限定するということは、同時に、デザインをタスク指向にすること、つまりモーダルにするということと同義だからです。

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