Modeless Design Advent Calendar 2025

魔術的な社会

December 18, 2025

『モードレスデザイン』- 1 詩人の態度 – 主観と客観 より

フランスの思想家、ジャン・ボードリヤールによれば、現代において欲求は均質化され、幸福は緊張の解消だと思い込まされ、すべてが安易に、そして無自覚的に消費されるようになっているのだという。この普遍的ダイジェストの意味を問うことは、もはや不可能になっている。

夢の作業、詩的作業、意味の作業であったもの、すなわち区別された諸要素を生き生きと結びつけることの上に成り立つ、移動と凝縮の大いなる図式、隠喩と矛盾の偉大な形態はもう存在しない。均質な諸要素の永遠の交代があるばかりだ。象徴的な機能はすでに失われ、常春の気候のなかで「雰囲気」の永遠の組み合わせが繰り返されるのである(★2)。

ボードリヤールは、問題となっているのは私的および集団的消費の心性であるという。これは日常生活の中で、ある種の奇蹟を待望する心性であり、思考が生み出したものの絶対的な力への信仰である。豊富さや潤沢さといった概念は幸福の記号が積み重なったものにすぎない。日々の経験において、消費の恩恵は労働や生産過程の結果としてではなく、奇請として体験されている。その奇蹟は記号操作によって作り出される。そして記号操作の秩序である消費秩序が、生産秩序と混ざりあっているのだという。

たとえば我々は物を購入する時、その広告や宣伝文句を見て、記号的にその物を評価する。物の良し悪しは自分と物の関係ではなく、物と社会、社会と自分の関係によって測られる。我々は商品を、その商品を買っている私、持っている私、という社会的に記号化された自分として消費している。企業は人々の購買行動を促すように社会的記号を洗練させる。消費者は、購入した物がその記号に沿っていると感じれば満足するし、沿っていないと感じれば不満を覚える。企業はそれらの不満を集めて分析し、記号をさらに強化させる。

我々は記号に保護されて、奇蹟的な安全の中で現実を否定しつつ暮らしている。「イメージ、記号、メッセージ、われわれが消費するこれらのすべては、現実世界との距離によって封印されたわれわれの平穏であり、この平穏は現実の暴力的な暗示によって、危険にさらされるどころかあやされているほどだ」とボードリヤールは言う。大量生産される物はその機能や耐久性のために価値づけられるのではなく、物の死滅のために価値づけられる。消費社会が存続するには物が必要だと思われているが、実際には、物の破壊が必要なのである。現代において消費は生産性の命令に服従している。そのため、ほとんどの場合、モノは場ちがいに存在しているので、モノの豊かさ自体が貧しさを意味しているのだという。

ボードリヤールは、私的および集団的消費の心性は魔術的思考であり、未開社会の信仰と類似していると言う。どちらも記号的な奇蹟に守られて存在しているからだ。現代社会ではますます魔術的思考が浸透し、意味作用の論理や記号と象徴的体系の分析の領分に属するようになっているのだという。ただし、未開社会における呪術的な世界認識をただ客観性に欠けたものとして捉えるわけにはいかない。フランスの社会人類学者、クロード・レヴィ゠ストロースによれば、近代社会の合理的で実際的な活動と、未開社会の呪術的で儀礼的な活動の差異は、客観性と主観性という区別で把握できるものではないのだという。それは行為主体の立場から見ると逆転する。

行為主体にとっては実際活動はその原理において主観的であり、その方向性において遠心的である。その活動は自然界に対する行為主体の干渉に由来するからである。それに対して呪術操作は、宇宙の客観的秩序への附加と考えられる。その操作を行う人間にとっては、呪術は自然要因の連鎖と同じ必然性をもつものであり、行為主体は、儀礼という形式の下に、その鎖にただ補助的な輪をつけ加えるだけだと考える。したがって彼は呪術操作を、外側から、あたかも自分がやることではないかのように見ているつもりでいる(★3)。

現代の盲目的な消費を増幅させている魔術的な社会においても同様に、スペクタクルは客観性を帯びた自然として我々を取り巻いている。我々は我々が作ったシステムに囲まれてその外側をイメージすることができない。我々が繰り返すデザイン活動は、我々の環境を作り上げると同時に、我々自身の世界認識をその中に閉じ込めている。


  • ★2 ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造」2015,紀伊國屋書店
  • ★3 クロード・レヴィ゠ストロース『野生の思考』1976,みすず書房