Modeless Design Advent Calendar 2025

注意の所在とジェスチャー

December 5, 2025

『モードレスデザイン』- 7 モダリティー – モノトニー より

ヒューマンインターフェースにおけるモードと、モードが引き起こすモードエラーについて、ラスキンほど厳密に定義づけを試みた研究者はいないだろう。彼は著書『ヒューメイン・インタフェース』において、一章をまるごと割いてそれらについて考察している。ラスキンはこう言う。

モードとは、インタフェースにおける間違い、混乱、不必要な制限、複雑さの温床となる重要なものです。モードによってさまざまな問題が引き起こされるということは、世の中で広く認識されているにもかかわらず、インタフェース・デザインの分野においては、完全にモードのないシステムを作るという戦略がほとんど採用されていないのです(★7)。

ラスキンが求めるのは、完全にモードのないシステムである。そのようなシステムをデザインする方法を明らかにするには、モードというものの正体を明らかにしなければならない。そのために彼はまず、「注意の所在」と「ジェスチャー」という概念を取り上げる。

ラスキンは次のように説明する。我々の意識には、認知的意識と認知的無意識がある。たとえば、自分が今着ている衣服の感触に注意を払ってみる。すると、それまで意識していなかった、衣服が体のさまざまな部分を押さえつけている感触が、急に意識にのぼってくる。最近の楽しかった時の記憶を思い起こす。するとその時の感情が急に呼び戻されてくる。自分の名前をアルファベット表記した時の最後の文字について考える。するとその知識がどこからか急に取り出されてくる。我々には認知的意識と認知的無意識が備わっている。そしてある刺激によって、心理構造が片方からもう片方へと移行する。認知的意識は、何か新しいことや脅威を感じる状況に遭遇した時、あるいは「型にはまらない」判断をしなければならない時、つまり今この場で起こっていることにもとづいて行動しなければならない場合に、呼び起こされる。認知的意識は逐次的に作動するものであり、同時にたったひとつの問題についての思考しか、あるいはたったひとつの行為に対する制御しか、行うことができない。そして意識的な記憶は、ほとんどの場合、わずか数秒で消え去ってしまう。

衣服の感触に注意を払う時のように、我々は思考を無意識から意識へと移行させることができる。しかし意図的に思考を意識から無意識へ移行させることはできない。「象のことは考えるな」と言われた時、それが実現されるのは、「象のことを考えないようにしよう」とした時ではなく、「象のことを考えないようにしようと考えなくなった」時である。つまり、象が「注意の所在」でなくなった時である。我々が同時に集中できる対象は、我々の感覚や想像が知覚している世界すべてを含めたとしても、たったひとつしかない。そのひとつしかない対象である物体、特徴、記憶、思考、概念がどのようなものであれ、それが注意の所在となるのである。

我々は、何かの作業を繰り返しているうちに、それが徐々にやさしいものに感じられてくることがある。スポーツや楽器の演奏、自転車に乗ること、歩くこと。繰り返し練習することによって、ある能力が「習慣」となり、ほとんど考えずにその作業を行うことができるようになる。この習慣は、悪い方にも作用する。たとえば爪を噛むなどの癖や、薬物の常用などである。習慣は非常に強力なものであり、意識による制御が効かない。ある行為が日常生活において「型にはまった」ものとなっているなら、それは無意識の領域に入り、自動化されてしまう。ヒューマンインターフェースの操作についても同様である。どのようなインターフェースでも、それを継続的に使用することによって習慣が形成され、それを避ける方法は存在しない。ラスキンは、「デザイナーとしての私たちに課せられた命題は、ユーザー側に問題が引き起こされるような習慣を形成させないインターフェースを創り出すことだ」と言う。たとえばクーパーも指摘したように、何かを削除しようとした時に現れる「本当に削除しますか?」といったダイアログは役に立たない。なぜなら使用者はほとんどの場合「実行」を選ぶことになるため、それが習慣化し、「実行」ボタンを押すことが削除行為の一部となってしまうからだ。ダイアログを見て自分の意思を確認し直すということができなくなるのである。誤った削除をなくすために作られた確認ダイアログは、習慣によって意味を失い、実際には単に通常の削除プロセスを複雑にするだけの存在となる。

ラスキンによれば、注意の所在というものは、作業や問題に没頭すればするほど、変わりにくくなるのだという。集中すればするほど、注意の所在を変えるには大きな刺激が必要となる。たとえば電車の中で読書に集中しすぎて、降りる駅を過ぎてしまったといった経験があるだろう。ある部分への集中度が高まるほど、他の部分に対する注意は薄れる。作業が重要なものになればなるほど、使用者はシステムからの警告に気づかなくなる。警告メッセージというものは、それが見逃されてはならない最も重要な時ほど、見逃されやすくなる。これらのことからも、ヒューマンインターフェースにおいてより重要なのは、使用者に確認や警告を提示することではなく、すべての操作結果を取り消せるようにすることなのだとラスキンは言う。

認知的無意識の領域にある行為の中でも、特に、いったん開始すると自動的に完了する一連の動作を「ジェスチャー」と呼ぶ。たとえば、「the」という単語を入力する場合、タイピングの初心者にとっては各文字をタイプする動作がそれぞれのジェスチャーになる。一方タイピングの熟練者の場合には、単語自体がひとつのジェスチャーになる。行為が習慣化されると、別々に認知されていた動作はひとつの心理単位に連結される。操作に熟練することで、一連の動作は単一のジェスチャーになるのである。注意しなければならないのは、同じ行為でも、それがどのレベルでジェスチャーとして自動化されているかは人によって異なるということだ。

ヒューマンインタフェースでは、ひとつのジェスチャーに対して複数の解釈が用意されている場合が多い。たとえば「Return」キーを押すというジェスチャーは、状況によって、改行文字の挿入であったり、コマンドラインの実行であったり、漢字変換の確定であったり、デフォルトボタンのショートカットであったりする。インターフェースがジェスチャーをどのように解釈するかは、モードによって決定される。つまり、ジェスチャーの解釈が異なっている場合、インターフェースは異なったモードにある。もしジェスチャーの解釈がひとつに定まっているなら、インターフェースはひとつのモードにある。これがモードというものに対する定義の出発点である、とラスキンは言う。


  • ★7 ジェフ・ラスキン『ヒューメイン・インタフェース』2001, 桐原書店