『モードレスデザイン』- 7 モダリティー – 複雑性保存の法則 より
テスラーが複雑性保存の法則を思いついたのは、PARC から Apple に移り、1983年から1985年にかけて Macintosh 用のオブジェクト指向フレームワークを開発していた時だった(★2)。ソフトウェアの操作をモードレスにするためにはヒューマンインターフェースに一貫性がなければならない。それには OS がヒューマンインターフェースの雛形を提供することが有効だ。そうすればサードパーティーの開発者は標準的な表現を踏襲でき、コーディングの量も減らせる。この考えからテスラーは、共有ソフトウェアライブラリーである Macintosh Toolbox と、アプリケーション自体との間に、ジェネリックアプリケーションと呼ばれる中間レイヤーを加えることにした。ジェネリックアプリケーションは、ウィンドウ、メニュー、コマンドなどを含んでおり、OS の標準的な振る舞いを提供する。ドキュメントを作成し、開き、保存し、印刷したりできるが、ドキュメントの内容や形態は含んでいない。このアイデアを Apple の経営陣やソフトウェアベンダーに訴求する際に、彼は複雑性保存の法則の考え方を用いたのである。アプリケーションには、生来それが持つ、それ以上には縮小できない複雑性がある。これを、使用者でもなく、アプリケーション開発者でもなく、プラットフォーム開発者が引き受けるものとして、ジェネリックアプリケーションの意義を主張したのである。
では、アプリケーションの複雑性と言う場合の「複雑性」とは何だろうか。単純に考えれば、ヒューマンインターフェースとして示される、機能、コントロール、選択肢などの量である。また、特定の日的を達成するまでに必要な操作の量である。複雑性の一部をシステム側に移動することで、それらの量が減る。使用者はより少ない操作、短い時間で作業を終えることができる。しかしこのような捉え方は、テスラーのコンセプトを単純化しすぎているだろう。もし量だけが問題なのであれば、それを減らすために、たとえば3ステップ必要だった操作を1つのボタンでまとめて行えるようにするなど、自動化のアプローチをとればよいということになる。Gypsy のデザインでテスラーがとったアプローチに照らせば、それはむしろ方向が反対だ。
ソフトウェアの複雑性に関して、アラン・クーパーらによる『About Face』の中に興味深い記述がある。
ほとんどのデザインは人間の振る舞いに影響を及ぼす。たとえば、建築は人間が物理空間をどう使うかを左右し、グラフィックデザインはそれを見た人の行動を促したり、後押ししたりすることを意図している。しかし現在では、半導体が組み込まれた製品(コンピュータから自動車、携帯電話、家電に至るまで)が身の回りにあふれている。つまり、私たちは複雑な振る舞いを示す製品を日常的に作っているのだ。
オーブンのようなベーシックな家電を例に考えてみよう。デジタル時代が到来する前のオーブンの操作は簡単だった。ひとつしかないつまみを正しい位置まで回すだけでよかったのである。電源がオフになる位置がひとつあり、つまみを回すポイントによってオーブンの温度を設定できた。つまみを所定の位置まで回すと、毎回まったく同じことが起きたのだ。これを「振る舞い」と呼べないことはないが、ごく単純な構造である。
これをマイクロプロセッサー、液晶画面、オペレーティングシステムが内蔵された最新型オーブンと比べてみよう。「お菓子・パン」、あるいは「グリル」などのボタンに混じって、「スタート」、「取消」、「プログラム」といった料理とは関係のないラベルのボタンが並んでいる。昔、ガスレンジでつまみを回していた頃と比べると、これらのボタンは、押すとどうなるのか予測しづらい。実際、ボタンを押した結果は、そのときのオーブンの作動状態とか、その前にどのボタンを押したかといったことによって大きく変わる。さきほど複雑な振る舞いと言ったのはそういう意味である(★3)。
クーパーらがここで言っている「複雑な振る舞い」とは、明らかにモーダルな振る舞いのことである。ある操作の意味や有効性が前の操作に依存して変化する時、その振る舞いは予測しづらく、インタラクションを複雑にする。もしひとつひとつの操作の意味が一定で、それぞれが独立して機能するなら、システムは単純なままに保たれる。たとえ目的達成までの操作の数が多くても、各操作の意味や必要性が使用者にとって自明であれば、問題にならない。デザイナーやプログラマーが対処すべき複雑性とは、つまりモードのことなのである。
- ★2 ダン・サファー『インタラクションデザインの教科書』2008,マイナビ出版
- ★3 Alan Cooper、Robert Reimann、David Cronin、Christopher Noessel 『ABOUT FACE インタラクションデザインの本質』2024,マイナビ出版