Persona

ユーザーフレンドリーとかユーザー中心といったスローガンは、我々に、製品はユーザーに合わせてデザインされるべきであるという価値観を強要しています。

もちろん出来上がった製品がユーザーにとって役立たなければ意味がないのですが、デザインの過程においてユーザーというものをどのように捉えるべきかということについては、再考の余地があると思います。

ひとりのユーザーの要求でもその分解には際限がないのと同様に、ユーザーグループを定義するというのも相当に困難です。

確かにユーザー間にはなんらかの共通属性があるかもしれませんが、コンテクストというものがゲシュタルトである以上、採用されたセグメンテーションの基準は常に設計者にとって都合のよいものにしかなりません。これは、製品のコンセプトをプロジェクト内で共有したり、マーケティングなどで特定の観点から統計を取得するためには役立つかもしれませんが、デザインという厳密な仕様を決める上では明確な手がかりになりません。だから普通は、セグメント毎の要求リストを好き勝手に作り、それに矛盾しない範囲で、誰かがえいやっと仕様を決めることになります。

人はそれぞれ皆違った状況下にあり、またその状況は変化し続けるので、ユーザーサイドの総合的な要求、つまりコンテクストを手がかりに仕様を決めようとすると、ターゲットユーザーの数に比例して仕様が膨らんでいきます。要件リストが長大であれば、システムにまとまりのある世界観を与えられなくなり、デザインは破綻します。しかしユーザーを限定し過ぎれば、汎用性が低下し、多くの場合、製造者の資本集約的なビジネスモデルが成り立たなくなります。

また、なんとかあるユーザーのコンテクストにぴったり合うデザインができたとしても、その分、他のユーザーのコンテクストには合わなくなっているかもしれません。出来上がったシステムについて言えば、仕様は常に厳密であるため、全てのユーザーのコンテクストにマッチするものを作るのはたぶん不可能です。

何が言いたいのかというと、使う人と作る人が分離している場合、ユーザーのコンテクストに合わせてデザインをするという発想は、そもそも無理があるということです。

うまく要件を定義するための取り組みとして、ペルソナを作るのが良いと言われることがあります。これは、ターゲットセグメントにおける個別要件の集積として要求事項を整理するのではなく、仮想の人物像を作ることで実際的なまとまりをもつ要求セットを導き出そうとするものです。そうすれば、コンフリクトを含んだ長大な要求リストではなく、ひとりのコンテクストに無理なくマッチしたシステム像が描けるだろうということです。

確かにこれならば、無秩序な要求の取り込みによって「誰にとっても使いにくい」ものが出来上がってしまうという状況は避けることができそうです。けれど、ユーザーのコンテクストから要求事項を抽出するという意味では、依然として不確定性の問題がありますし、そもそも仮想のキャラクターからリアリティのある要求事項を得られるのかという疑問があります。誰かがそれを代弁するなら、それはその人の「意見」になってしまいますし、何かの統計から「そのセグメントに一般的な要求」を持ってくるのなら、わざわざキャラクターを作る意味がありません。ペルソナのもとになった特定人物がいるのであれば、その人を直接観察なりインタビューなりするべきでしょう。

ペルソナのポイントはキャラクターのリアリティにあるのだと思いますが、キャラクターにリアリティを与えるのはそのキャラクター固有の状況です。けれどその固有の状況を強調すると、セグメントの代表者としての性質がぼやけます。セグメントの代表者でないのなら、そのペルソナの妥当性を説明できません。

ペルソナにしてしまった時点で、そのキャラクターは活動を止めてしまいます。ある人の服をオーダーメードするのに、その人を採寸するのではなく、その人の写真を見て採寸するようなものです。それなら、デザインの手掛かりとしてはターゲットユーザーの属性リストと変わりません。

ペルソナが有効であるとするならば、それは仮想敵国ならぬ仮想ユーザーとして、開発者のモチベーションを高めるプロパガンダになるからでしょう。少なくとも我々の仕事相手は、IDE のエディタ画面ではなく血の通った人間である、というイメージを共有することで、インタラクションデザインの重要性をプロジェクト内で確認するのです。

考えてみれば、なぜユーザーに合わせてデザインしなければならないのでしょうか。ユーザー毎に最適なデザインが異なるとするなら、その考えを突き詰めると、ユーザーの数だけ別々のデザインが必要であるということになります。ペルソナは何人作ればよいのかという質問に対して、「理想はユーザーの数だけです」と答えなくてはなりません。でもそれだとあまりに面倒だし、要件定義として風呂敷をたたむどころか、広げる一方になってしまい、収拾がつきません。道具には、本当にユーザーの数だけデザインが必要なのでしょうか?

ユーザーは人です。人というのは、自分自身では一貫した存在であると思っているかもしれませんが、客観的に見ると、非論理的で、支離滅裂で、気まぐれで、定義しにくい存在です。人という単位で要求をまとめても、仕様に落とし込めるほどの体系を見出すことは難しいでしょう。

道具を使うのは人ですが、その道具がある人の全生活をサポートするのでない限り、人という単位が道具のデザインに対して意味を持つわけではないのです。これは前に書いた、柱に対する行為(寄り掛かったり身長を記録したり)が柱の性質を決定するわけではないというのと同じです。むしろ逆で、柱の性質がそれに対する人の行為を決定するのです。

ユーザーのコンテクストが定義不可能なら、それをもとに要件を定義しようとするプロジェクトは全て失敗します。では、世の中にあるデザインが全て失敗なのかというと、そうでもありません。気に入って使っている道具はいくつもあるでしょう。そのような道具は、自分のニーズに合っていて、思い通りに目的を達成できます。これらを作ったデザイナーは、どうやって僕のコンテクストを定義したのでしょうか。

もう分かると思いますが、そのような道具を作ったデザイナーは、僕のコンテクストなど考えていません。僕自身がその道具に合わせて行動を変えたのです。はじめはうまく使えなかった物に、次第に慣れて、使いこなせるようになったのです。もし、使いこなせるようになるまでに習得しなければならない事柄が多すぎたり、デザインに一貫性が無くて学習不能であったり、そもそも自分の用途に合っていないようなものは、僕にとって役立たない道具ということになります。シンプルで一貫性があり、操作と結果の対応が自明であれば、短期間で使いこなせるようになります。そのような道具は、自分なりの工夫が効くので、多少期待と違う性能だったとしても、我々は自らの要求を変更して、その道具を使うことで得られる利便性を最大化することができます。そうすることで、当初イメージしていた成功体験を超えるような満足が得られるかもしれないのです。

つまるところ、ユーザビリティというのは、ある道具が定数的に持っている属性ではなく、その道具を使う者が、利用体験を通じて感じる認知上の変数なのです。

ということで、ペルソナの理想的な数はいくつか。その答えはゼロだと思います。デザインは、人という単位に対して行うべきではないからです。人という単位に着目してしまうと、デザインの落とし所が見つからなくなってしまいます。

では、我々は、いったい何を手掛かりにデザインをすればよいのでしょうか?

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2 Responses to Persona

  1. noriyo says:

    このブログをひそかに拝見するのが
    最近一番の楽しみになっているのですが、
    今回の記事は実に
    「かいしんのいちげき」
    ですw

  2. gp98 says:

    >ユーザビリティというのは、ある道具が定数的に持っている属性ではなく、
    >その道具を使う者が、利用体験を通じて感じる認知上の変数なのです。

    これが11/25の記事で定義されてた”特定の目的を達成するために、特定の利用者が、特定の利用状況で、有効性、効率性、そして満足とともにある製品を利用することができる度合い。”に繋がっているということかな… (大事なのは”利用”だという解釈で

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