Modeless Design Advent Calendar 2025

2025年と『モードレスデザイン』

December 25, 2025

2025年は私にとって記念すべき年となった。初の単著『モードレスデザイン 意味空間の創造』が刊行されたからだ。そのような機会が再びあるかわからないので、書きたかったことをすべて書いた。過去に執筆した本や記事は基本的に「ノウハウ情報の提供」という仕事的なものだったが、『モードレスデザイン』は自分が書きたいと思っていたものを自由に書いた。それはまた、自分が読みたいと思っていたようなものでもあった。その結果この本は、ノウハウ的な部分もあるにはあるが、全体としては人文系の読みものになった。自分としては文芸作品だと思っている。

作品については作品そのものに語らせるべきである。モードレスネスをテーマにしているので、この本自体をできるだけモードレスにしようと考えた。ある種の論文ではあるものの、その章立ては必ずしも内容の論理構成に沿っていない。同じようなフレーズが繰り返し現れる。文章のリズムを優先して語句の説明を省くなどしている。直線的な展開を解体して再帰的な流れの束を作り、全体がフラクタルな印象を与えるようにしている。とはいえ、読書という線形的な所作を軽視しているわけではない。むしろ600ページ近くの文章を順に追っていくことで徐々にひとつの主題が立ち上がってくるよう、かなり技巧的なドラマツルギーを用いたつもりだ。それだけの読書時間を過ごさなければ得られないようなものを表現しようとした。その意味でこの本は要約されることを拒否している。強いて要約すれば「モードレスで行こう」という単純なスローガンになってしまう。

そうした意欲から、この本にはさまざまなサブストーリーが含まれることになった。メインストーリーは「ヒューマンインターフェースはなぜモードレスであるべきか」ということだが、それ自体は全体からすればプロローグ的な位置付けとなる。忠臣蔵の全体がサブストーリーの集合であるように、この本はサブストーリーの集合である。ひとつの事柄を複数の部分にして説明するのではなく、複数の事柄からひとつの観点が示されるようにした。

ソフトウェアデザインの話を恣意的に拡大して別な領域の話に無理に接続していると見る向きもあるかもしれない。けれど、ソフトウェアはまずもって道具であるということ。そしてソフトウェアという道具のソフト性は、それを作った人間の可塑性を反映しているということ。デザインは、自らが作った人工物によって自分自身を作り変えるという人間の根源的な営みである。現代的なところから考えれば、ソフトウェアのデザインは我々自身のデザインと区別をつけることができない。もともとそういう大きなテーマなのである。同時に、生活の中に小さく織り込まれた日常的なテーマでもある。

モードレスな道具は、人と環境、主体と客体をストローのように繋ぎ、両者をひとつづきのものとして半統合する。この構図は、モードレスなデザイニングからモードレスなデザインが生まれるという関係であり、作ることと使うことのフラクタル性、同時性、同型性を示唆している。モードレスネスというコンセプトを用いることで、二項対立的なものを止揚できる。そのような気づきがこの本を書いたきっかけだ。それはまた、モードレスネスとモダリティーという、私自身を駆り立ててきた対立構造の止揚でもある。

『モードレスデザイン』はソフトウェアの道具論だが、ここでいう道具は単なる物のカテゴリーではなく、我々の世界認識の前提を作るキーファクターである。そこから、意味空間という概念が取り上げられる。そして実践的な制作態度や生活態度が導出される。そのような思考に飛躍があろうとなかろうと、私自身のデザインの仕事をこの世界のどこかに接地させるためには、この言説が必要だった。

このアドベントカレンダーブログは、『モードレスデザイン』の豪華な予告編として作った。各記事を読んで「面白い」と思った方はぜひ本を買っていただきたい。一方「あまり面白くない」と思った方も安心されたい。各章の一番面白いところはわざと避けて記事を作ってあるから、実のところ本はもっとずっと面白い。