Modeless Design Advent Calendar 2025

PARC に入ったテスラー

December 2, 2025

『モードレスデザイン 意味空間の創造』- 6 モードレスネス – カット/コピー・アンド・ペースト より

テスラーはおそらく、ソフトウェアのユーザビリティーに取り組んだ最初の人間のひとりである。テスラーは高校でプログラミングを勉強し、1961年にスタンフォードに入学した。在学中に彼は、フットボールの試合で使われるカードスタント(観客たちが一斉にカードを掲げて大きな文字や絵を作るパフォーマンス)用のカードを自動生成するプロジェクトに参加した。これはコンピューター科学の学生とアートの学生の共同プロジェクトだったが、コンピューター科学の学生が作成したプログラムは使い方が難しく、アートの学生たちは難色を示した。テスラーはアートの学生たちを観察し、彼らが望むものを実現すべく三年間プログラムの改善を続けた。そしてついにアートの学生でも使えるシステムを完成させた(★11)。

1963年、学業と並行してソフトウェアコンサルティング業を始めた彼は、使い勝手のよいシステムを作ることに取り組んだ。当時のコンピューターシステムは、コンピューターの専門家がオペレーションを担当することが普通だったが、テスラーがデザインしたシステム、たとえば大学病院のルームスケジュールプログラムは、担当医師が自ら操作できるものだった(★11)。

当時コンピューターの使われ方はバッチ処理が中心だったが、インタラクティブなシステムも現れはじめていた。しかしどれもモードがあって使いにくいと感じていた彼は、モードをなくすにはどうすればよいかを考えるようになった。1968年に SAIL(スタンフォード人工知能ラボ)で働き始めた彼は、サンフランシスコ・ベイエリアのコンピューターサイエンスコミュニティーに触れ、アラン・ケイやドナルド・ノーマンと出会う。そして認知心理学にも興味を持つようになった(★12)。

1970年代になって、テスラーは Pub という出版用のマークアップ言語を開発した。これは ARPANET に接続された大学の学生たちに広く使われたが、テスラーは本当は、誰でも使えるようなインタラクティブなレイアウトシステムが必要だと考えていた(★11)。ある日彼は、地元のボランティアグループのために季刊カタログの版下づくりを手伝っていた。そこでカッターと糊で切り貼り(カット・アンド・ペースト)作業をしながら、友人に次のように話したという。

未来ではこんなやり方はありえないよ。未来では目の前に大きなスクリーンがあって、ドキュメントから引用箇所を取り出して、糊なしでページ中に貼りつけるようになるんだ。位置合わせの問題も起こらないだろう。そして完成したらフォトタイプセッターで印刷する。すべてがインタラクティブに行われるんだ(★11)。

テスラーはこのビジョンを実現するための場所を探し、1973年、Xerox PARC に入社した。彼はインタラクティブなドキュメント編集についての仕事を希望した。しかし上司のビル・イングリッシュは彼に、当時開発中だった分散オフィス・システム、POLOS(PARC Online Office System)のチームにまず入るように言った。これはテスラーをがっかりさせたが、イングリッシュは彼に、約半分の時間をアラン・ケイが開始していた Smalltalk + Alto のチームで働くことも許可した(★11)。

POLOS のメンバーの多くは、SRI(スタンフォード研究所)のダグラス・エンゲルバートのグループから Xerox に来た者だった。ビル・イングリッシュもそのひとりだった。テスラーは、同じく SRI 出身のジェフ・ルリフソンと共に、未来のオフィス・システムのビジョンを作成した。これは OGDEN (Overly General Display Environment for Non-programmers:ノンプログラマーのための過度に一般的な表示環境)というレポートで、デスクトップメタファーの原型のようなアイデアが記されていた。その中でルリフソンは、ラベルつきのピクトグラムをインターフェースに利用するアイデアを提案した。このアイデアは彼が記号論についての本から得たもので、現在多くの GUI 環境で使われているアイコンの原型となった(★11)。

当時、POLOS のメンバーのほとんどは、エンゲルバートのチームが開発した NLS のインターフェースに強く傾倒していた。しかしテスラーとルリフソンは違った。マウスとキーパッドを用いて操作するその仕組みはよくできていたものの、入力のために多くのモードを切り替える必要があり、習得するには6ヶ月程度かかると言われていた。インターフェースを誰でも使えるようなものにするという発想が、当時はなかったのである。

当時のテキストエディターを使いこなす秘書たちを観察していると、私の愛したコンピューターは、実際には非友好的な怪物であり、その最も鋭い牙はつねに存在するモードであることがすぐに確信できた。新しいユーザーからの質問で、少なくとも「どうすればいいのですか?」と同じぐらい多かったのが、「どうすればこのモードから抜け出せるのですか?」だったのである(★13)。

モードの犠牲者は初心者だけではなかった。熟練者でも、あるモードの中で使われるコマンドを別のモードの中でタイプしてしまい、苦痛を伴う結果を招くことがよくあった。たとえば「D」というキーの入力は、モードによって、「選択された文字を D に置き換える」、「選択された文字の前に D を挿入する」、「選択された文字を削除する」といった異なる意味になる。文字を挿入するつもりが削除してしまうということが頻繁に起こった(★13)。さらにジョークのようなことが起こるのは、「edit」という単語をタイプした時である。プログラムがコマンドモードにあることに気づかず「edit」とタイプすると、まず最初の「e」によってドキュメント全体が選択される。これは「entire」コマンドを意味するからだ。次の「d」で選択されたテキストが消去される。これは「delete」コマンドを意味する。次の「i」は「insert」コマンドを意味し、プログラムが挿入モードになる。そして最終的にドキュメントには、「t」の文字だけが残る。操作を取り消す機能はあったものの、一段階しか取り消せなかったので、「t」を挿入してからでは全消去の操作を取り消せなかったのである(★14)。

そこでテスラーは、短時間で使い方を習得できるものを作ろうと考え、Smalltalk 上で Mini Mouse という小さな編集プログラムを開発した。これは NLS のキーパッドは全く使わず、マウスボタンをひとつだけ使うものだった。このプログラムを作る前に、テスラーは使用者を観察したいと考え、「空白スクリーン実験」と呼ばれるテストを行った。テスラーは PARC に入ったばかりの秘書を呼んだ。彼女はまだ既存のシステムに触れたことがなく、コマンド方式の影響を受けていなかった。そして何も表示されていないスクリーンの前に座ってもらい、「このスクリーン上にドキュメントのページがあると想像してください。これはカーソルを動かして文字を入力する装置です。あなたはこのドキュメントに変更を加える必要があります。どのようにしますか?」とたずねた。すると秘書はこう答えた。「私はそこを指して、delete キーを押すと思います」。また文字列を挿入する場合には、その場所を指して、タイプを始める、と彼女は言った。従来のテキストエディターでは、たとえばパラグラフを削除するにはまず delete モードに入ってから対象のパラグラフを指定する。文字を挿入するにもまず insert モードに入る。コンピュータープログラムの操作に汚染されていない彼女が持つ操作のイメージはそれとは全く異なるものだった。テスラーはその後、他の新人にも同種のテストをしてみたが、同じような結果が出た。人々は、自分たちが紙の原稿の上でやっていたことをコンピューターのスクリーンでもそのまま行おうとしたのである(★11)。

まずポイントしてそれからアクションを行う、というモードレスな操作の有効性について、テスラーは上司のイングリッシュにレポートした。それまでイングリッシュは、NLS のデザインを疑問視するテスラーの取り組みに懐疑的だった。PARC メンバーたちは、NLS の「Verb → Object」の構文は英語の文法と同じなのでわかりやすいと思っていたのである(★12)。しかしイングリッシュはテスラーのレポートを見て考えを変えた。実際、PARC のビルの中で通りすがりの人々に Mini Mouse を試してもらうと、彼らは5分で操作を習得できた。Mini Mouse は PARC 内で評判になった(★11)。

ソフトウェアデザイナーはしばしば「Verb→Object」構文の方が直観的だと考えた。なぜなら英語の命令文は「Verb → Object」の形だからである。しかし、さまざまなユーザーテストの結果から、特にコンピューター初心者にとっては、「Object →Verb」の順序の方がより自然で、より速く、そしてより間違えにくいことがわかった。「Object →Verb」の順序の方がより良い理由は、それが、ユーザーが罠にかかったと感じるモードの発生を減らすからだ(★15)。


  • ★11 Bill Moggridge「Designing Interactions」2007, MIT PR
  • ★12 Larry Tesler「A Personal History of Modeless Text Editing and Cut/Copy-Paste」Interactions Volume 19, Issue 4July 2012(https://doi.org/10.1145/2212877.2212896)
  • ★13 Larry Tesler「The Smalltalk Environment」(「BYTE August 1981 Vol.6, No. 8」に収録)
  • ★14 「Alto System Project: Larry Tesler demonstration of Gypsy」(https://youtu.be/2Z43y94Dfzk)
  • ★15 Larry Tester「Object-Oriented User Interface and Object-Oriented Languages」SIGMALL ’83: Proceedings of the 1983 ACM SIGMALL symposium on Personal and small computers, 1983(https://doi.org/10.1145/800219.806644)