『モードレスデザイン』- 1 詩人の態度 – 問題の外に出る より
プロダクトを作る際によく言われるのは、顧客が要望するデザイン案を鵜呑みにしてはいけないということだ。彼らはデザイナーではないし、自分に見えている問題の形に注目しているだけで、システム全体に対するインパクトについては考慮していないからだ。しかし、顧客に対して「その要望の本質は何ですか?」と聞いても、やはり適切な回答は得られないだろう。表出された意見から問題の本質へとラダリングし言語化するのはデザイナーの役目である。これは医者が、患者が訴える症状からその原因を推測する振る舞いに似ている。適切な診断をして治療方針を定めるには、膨大なヒューリスティックが必要になる。顧客の要望の裏に、つねに何らかの本質問題が特定可能であるとは限らない。問題はいつも要求が環境を変化させた結果として新しく生じてくる。デザインが問題を作っているとも言えるだろう。デザインによって仕事の在り方が変わり、次のレベルの要求が作られる。これが人と人工物の関係である。
デザイナーが解決策として提出した物自体が、問題環境に影響を与える。デザインの前提としていた課題設定はデザインによって変化する。問題を解決する方法を考案するのがデザイナーだと思われているかもしれないが、どちらかと言えば逆なのだ。人々の生活は環境との相互作用によって連続的に更新されているのであり、いちいちそこに問題が意識されているわけではない。デザイナーは使用者に対して「解決方法はこちらが考えるので何が問題なのかだけを教えてください」と言うことがあるが、使用者にとって実はそれが一番難しいのである。人はデザインされた物を見てはじめて問題領域を認識する。デザインは問題に解決を与えるのではなく、むしろ解決に問題を与えている。デザインは問題を作る。悪いデザインとは、自らが提起した問題に適切な回答を与えられないもののことだ。良いデザインは、まるで曲芸のような回答で問題の見方を変えてしまう。建築家のクリストファー・アレグザンダーは次のように言う。
もし彼が良いデザイナーであれば、彼の発明する形は、問題を深く貫き、ただそれを解決(solve)するだけではなく、解明(illuminate)するであろう(★27)。
アメリカのコンピューター科学者、フレデリック・ブルックスによれば、偉大なデザイナーは普通のデザイナーに比べて、より高速で、より単純で、より欠陥の少ない構造を、より少ない労力で生み出せるのだという(★28)。偉大なデザイナーのアプローチと平均的なデザイナーのアプローチの間には天と地ほど違いがある。これまで多くの優れたソフトウェアシステムが多人数のプロジェクトによって構築されてきたが、ファンを熱狂的にわくわくさせるようなソフトウェアシステムは、一人または少人数の偉大なデザイナーによって作られているのだという。ブルックスは、「偉大なデザインは、偉大なデザイナーから生まれる」と主張する。
要求を特定する方法として多くのデザイン理論が教えているのは、完成した、あるいは制作中のデザインをテストしてみることだ。使用者に製品を使ってもらい、その様子を観察することでデザインの問題を発見する。このアプローチは、ある状況においてたしかにその問題が起きることがあると証明するには理にかなったものである。また、製品を開発する側の人間にとっては、そうしたテストを行う以外に、使う側の立場から自分たちの仕事を評価する機会がない。テストは開発者に実際的な審美眼を与えるという重要な役割がある。
しかしテストによって何らかの問題が発見されたとしても、不適合の可能性の一部が示されただけであり、それで在るべきデザインの全体が定義可能になるわけではない。当然だが、問題を解決するデザインは、問題を見つける行為からではなく、デザインする行為からしか生まれない。ソフトウェアデザイナーのアラン・クーパーは、著書『ユーザーインターフェイスデザイン」の中で、技術モデルのデザインを非難してユーザーモデルへの移行を訴える一方、その実現にはユーザー中心ではなくデザイナー中心の取り組みが必要なのだと主張している。
ユーザビリティテスターはプログラマを暗い部屋へ連れ込む。プログラマはそこで、自分の作ったソフトウェアとユーザーが格闘するのを盗み見る。プログラマは、被験者は脳に障害があるのではないかと最初は思う。ユーザーが彼のプログラムを理解できないことが信じられないのである。苦痛に満ちた観察の後、とうとう彼は経験という証拠の前に屈伏する。自分のインターフェイスデザインに改良の余地があることを認め、その仕事に取りかかる。
しかし、経験主義はデザインの方法ではなく、デザインを検証する方法である。問題の所在を突き止めるためにブラインドテストを行うのと、その結果を問題解決のために利用するのとは全く別のことである。ユーザーが苦闘しているところを見せるのはプログラマにとっては良い薬になるが、ユーザーやソフトウェアにとっては大して役には立たない。プログラマは自分のコンビュータに戻って、ユーザーインターフェイスにもう少し余計に論理と理性を注ぎこむだろう。我々が良いデザインをもつ十分な数のソフトウェアを手にすることができるのは、デザインが、ブログラマ(ユーザーテストの結果に助けられたプログラマであっても)ではなく、ソフトウェアデザイナの手に委ねられたときである(★29)。
- ★27 クリストファー・アレグザンダー『形の合成に関するノート』2013,鹿島出版会
- ★28 フレデリック・ブルックス『人月の神話』新装版 2010,桐原書店
- ★29 アラン・クーパー『ユーザーインターフェイスデザイン』1996,翔泳社