Modeless Design Advent Calendar 2025

目当ての開示

December 15, 2025

『モードレスデザイン』- 5 対象と転回 – OOUI より

英語の命令文に倣った「Verb → Object」シンタックスは、その命令を発する者としてのサブジェクト(主体)およびその文脈としてのサブジェクト(主題)、そしてコンピューターを使役するという構図としてのサブジェクト(服従させる)を示唆する。その典型が、CLI(コマンドラインインターフェース)である。CLI の特徴は、一行の命令文を書きそれを実行するという、通時的な単位で行為が表現されることにある。一方、「Object →Verb」シンタックスの OOUI の世界にはサブジェクトは存在しない。ただオブジェクトとそれらの振る舞いが共時的に在るだけだ。

サブジェクティブな操作では、動詞に対して引数を渡して実行する。オブジェクティブな操作では、オブジェクトにアクション実行のメッセージを送る。サブジェクティブな操作の問題はオブジェクト(目当て)が不在であることだ。手続きだけがあり、使用者に対象が開示されていない。

仕事領域についての分析結果から関心の対象が特定されたとしても、それらが動詞の引数として現れるだけであればパラダイムはシフトしない。オブジェクト指向の構文論的転回とは、まずオブジェクトが開示されることで起こる。サブジェクトはオブジェクト同士の間に可能性としてのみ仮定され得る。操作の意味はつねに遅延的に定まる。ヒュームが言うように、出来事と出来事の繋がりは我々の体験的な理解の習慣から成り、過去と未来の間に必然的な関係はない。オブジェクティブなデザインにあるのは、この遅延性である。同様に、OOUI においては目的と手段の間にも必然的な繋がりはない。両者を結びつけるのはただ、使用者の中にある創造性だけである。

オブジェクト指向の世界では、物々は時間の流れの外側で自身の諸反応を伴いながら存在している。オブジェクト同士の関係はプログラマーによってあらかじめデザインされているが、それは原因と結果という関係ではなく、世界の在り方として動的なネットワークを形成している。

OOUI のスクリーン上でフォルダーを開くと中のファイルが見える。この時インターフェースが担っているのは、フォルダーとファイルの働きではなく、手と目の働きの方である。フォルダーやファイルの実在には現実も空想もない。OOUI は、そこヘアクセスするための新たな身体性なのである。OOUI が行っているのは、我々の意識にのぼるものに形を与えて対象化することだ。対象化とは、アクションを受け取りリアクションを返す自立的な存在として現すことである。そのようにして世界を示すことである。プログラマーは、使用者が取り得るすべての操作をあらかじめ予想し、その手順をプログラムにしているわけではない。オブジェクト指向性とは、個々の要素がそれ自身の振る舞いだけを知っているように作ることだ。世界の変化を線形的に定めるのではなく、見立てられたオブジェクトの自立性と、それら同士の相互作用の中に、行為の可能性を可能性のままに解放しておくということだ。

アプリケーションのスクリーンは、往々にして「手続きとしてデータを入力する場所」としてデザインされる一方、OOUI ではこれを「オブジェクトの表象」としてデザインする。使用者は間接的に手続きを行うのではなく、オブジェクトを直接触りながらそれを望む形に近づける。サブジェクティブにデザインされたアプリケーションをオブジェクティブに変えようとする時、ステークホルダーの多くにとってはこの発想の転換が難しい場合がある。あまりに長い年月、スクリーンを手続きの申請フォームのようなものとして捉えてきたからだ。仕事上の概念的なものを、触ることができる実体として捉えられないのである。