Modeless Design Advent Calendar 2025

ヒューマンインターフェースの概念

December 13, 2025

『モードレスデザイン』- 4 界面と表象 – インターフェース より

ソフトウェアの使用者はつねに、ヒューマンインターフェースを通じてそれを利用する。ヒューマンインターフェースを通じてしか、使用者はソフトウェアとインタラクトすることができない。使用者はヒューマンインターフェースからそのソフトウェアを知覚し、その性質や意味を理解する。使用者にとっては、ヒューマンインターフェースがソフトウェアそのものである。これは別の言い方をすれば、使用者の視点に立った時には、ヒューマンインターフェースという概念をソフトウェアの概念から切り離して区別する必要がないということである。

道具の内部機構が複雑化するにつれて、使用者からそれらを隠し、別なところに操作部が作られるようになった。これがヒューマンインターフェースという概念の起こりである。現在デザイナーたちは、日々さまざまな機器やアプリケーションのヒューマンインターフェースを作っている。しかし一般の人々にヒューマンインターフェースのデザインという仕事を説明してもなかなか理解されない。よくてアイコンの見た目を作る仕事として理解されるぐらいだ。彼らは皆スマートフォンやパーソナルコンピューターを日常的に使っているにもかかわらずである。四六時中ヒューマンインターフェースに触れているのに、そこにそれがあること、それをデザインしているデザイナーがいるということがうまく想像できないようである。これは彼らの認識不足を意味しない。おそらく、ヒューマンインターフェースなどという独立した対象は記述の領域にしか存在しないのである。

アメリカのインタラクションデザイナー、ブレンダ・ローレルは、1991年の著書『劇場としてのコンピュータ』においてすでに、アプリケーションとインターフェースを区別せずに、それらを統一的なひとつのプロセスとして同じコンテクストの中で考えるべきだと言っている(★7)。それこそが使用者において現象していることの実際だからである。ソフトウェアにおける抽象と具象の分節は、おそらく、ソフトウェア制作に携わる者に特有の、説明上の作法に過ぎない。

ソフトウェア制作では通常、ヒューマンインターフェースは、人間とアプリケーション内部の働きを媒介するものとして捉えられている。ヒューマンインタフェースは、すでに存在する機能の集合に対して、使用者との接触面として作用するように付加されるものと考えられている。実際に我々は、ソフトウェアが思いどおりに使えない時、何かアプリケーションが持つ機能へのアクセスがヒューマンインターフェースによって妨害されているような気分になる。ローレルは、「さまざまなモードの間隙で認知の小さなつまずきが起きることについて、私たちに何ができるだろうか?」と問う。

ソフトウェアにおける操作性の問題は、ヒューマンインターフェースに原因があるということになっている。しかしこの世界が世界そのもののインターフェースであることからわかるように、ヒューマンインターフェースの問題はヒューマンインターフェースという概念自体に端を発している。我々が何か媒介的なものに作業を妨害されていると感じるなら、妨害しているのは媒介的なもののデザインではなく、媒介的なもの自体の存在、つまり作業そのものが内包している間接性や手続性なのである。

ローレルは、「直接参加感の概念は、スクリーン設計の美学より幅の広い芸術的な考察への扉を開いてくれる」と言っている。アプリケーションとインターフェースの境界をなくすことによって、ソフトウェアは使用者にとっての直接的な存在となる。そしてそのデザインが持つ学際的な性質が鮮明に浮かび上がる。コンピューター科学と従来のインターフェース理論に浸りきっているデザイナーたちは、その視点を変えるだけで、ヒューマン゠コンピューター・アクティビティーのデザインに影響を及ぼす理論的かつ生産的な知識の、豊富で新しい源を発見できるかもしれないとローレルは言う。

機械化時代のヒューマンインターフェースの概念では、人間と機械の間で第三者的に両者を仲介するものが存在していた。なぜなら、工作機械の制御盤など、実際に操作部と作用部が離れているのが普通だったからだ。一方、アプリケーションの現象が GUI 上のインタラクションで完結する世界では、もはやヒューマンインターフェースの概念は必要ない。語義矛盾的だが、つまり GUI は UI ではない。GUI はコンピューターを制御するためのインターフェースではない。GUI こそが、我々が触れようとしている当のものなのである。GUI はいつも、そこに見えているそれそのものであろうとしている。デスクトップに置かれたファイルを開く時、どこか別のところに存在している何かを遠隔操作しているわけではない。ただファイルを開いているのである。SNS を見る時、どこか別のところにある SNS をモニタリングしているのではない。ただ SNS を見ているのである。

たとえばハンマーを、構造と素材に分けて捉えることはできる。しかしそれぞれを別々にデザインすることはできない。我々にとってのハンマーはそこに見えているそれであり、その全体性をもって我々と相属している。デザインはまず、物の全体性や相属の在り方に関わっている。ヒューマンインターフェースデザインという行為がいったい何をデザインしているのかということは、一般にはほとんど理解されていない。それは単に使用時の感覚的な手触りや表象の意匠を作ることではない。ヒューマンインターフェースデザインの一番重要なテーマはヒューマンインターフェースについてのものではない。それは、逆説的だが、ヒューマンインターフェースの概念が不要になる場所を見極めることである。ヒューマンインターフェースは、使用者と処理機能を繋ぐものとしてではなく、行為者と行為対象の境界を透過的にするものとして捉えなければならない。


  • ★7 ブレンダ・ローレル『劇場としてのコンピュータ』 1992,トッパン